
最近、自分とのつながりについて考えている中で、
ひとつ思い出した出来事がありました。
それは人間関係の中で感じた、
ある窮屈さについてです。
例えば、
AさんとBさんがいたとします。
二人は以前は仲が良かったけれど、
ある出来事をきっかけに関係がこじれてしまいました。
Aさんは傷つき、
「もうBさんとは仲良くできない」
と言っています。
私はAさんと仲が良く、信頼関係もあります。
一方で、Bさんとはまだ深い交流はありません。
でも、私はBさんに対して特に悪い印象もなく、
「どんな人なんだろう」
「もう少し話してみたいな」
そんな気持ちを持っていました。
この時、多くの人はどうするでしょうか。
Aさんの気持ちを考えて、
Bさんと距離を置くかもしれません。
私自身も長い間、
それが当たり前だと思っていました。
でもある時、
信頼している方に相談したことがあります。
すると、
「あなたがBさんと交流したいなら、交流していいと思う」
と言われました。
最初は驚きました。
でも続けてこう言われたのです。
「もしそのことでAさんが離れていくなら、それはあなたの責任ではない」
「大事なのは、あなたがどうしたいかだと思う」
その言葉を聞いた時、
私はほっとした反面、
強い罪悪感も感じました。
なぜなら私は、
どこかでこう思っていたからです。
「自分の気持ちを優先するのはわがままだ」
「相手が傷つく可能性があるなら我慢するべきだ」
「仲良くしたいと思っても、その選択はしてはいけない」
そんな思い込みです。
でも最近になって気づきました。
私は本当にAさんを大切にしていたのでしょうか。
それとも、
嫌われたくなかっただけなのでしょうか。
もちろん相手への配慮は大切です。
でも、
配慮と自己犠牲は同じではありません。
私は長い間、
その違いが分からなくなっていたように思います。
そして今回さらに気づいたことがあります。
それは、
私の中にずっと隠れていた問いです。
「私は自由でいてもいいのだろうか」
この問いはとても不思議でした。
なぜなら私は、
この問いそのものを考えないようにしていたからです。
自由になりたい。
自由に選びたい。
そんな気持ちが出てきても、
すぐに打ち消していました。
「それはわがままだ」
「そんなことを考えてはいけない」
「答えはもう出ている」
そうやって自分で蓋をしていたのです。
でも本当は違いました。
私は誰かを傷つけたいわけではありません。
裏切りたいわけでもありません。
ただ、
自分が感じたことを大切にしたかった。
自分がどうしたいのかを知りたかった。
それだけだったのです。
今振り返ると、
私が恐れていたのは自由そのものではなく、
自由になることで
誰かを傷つけるかもしれないという不安
だったのかもしれません。
でも人生は一人ひとりのものです。
選択もまた一人ひとりのものです。
私は私の人生を生きる。
相手は相手の人生を生きる。
その中でお互いを尊重する。
それは決して冷たいことではなく、
むしろ健全な信頼なのかもしれません。
そして私は今、
少しずつ思えるようになってきました。
自由でいることは、
誰かを大切にしないことではない。
自分を大切にすることでもあるのだと。
もしかすると、
自分とのつながりとは、
こういう小さな選択の中で育っていくものなのかもしれません。
幸せの魔法使い☆まみ
性を通して本来の自分に還る
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