こんにちは。
このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。
ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。
私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。
このブログでは、
自己信頼や内なる叡智を思い出すこと
自分らしい生き方を育む気づき
夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント
などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。
ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。
さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。

舌切り雀は「得したら幸せ」という話なのかな
「損したくない」
「得したい」
そんなことを考えていた時に、
ふと昔話の
『舌切り雀』を思い出しました。
優しいおじいさんが、
舌を切られた雀を助けます。
すると雀は、
自分たちの家へおじいさんを招待して、
ごちそうでもてなしてくれました。
帰る時に雀たちは、
「大きなつづらと、小さなつづら、
どちらを持っていきますか?」
と聞きます。
するとおじいさんは、
「私は小さいもので十分ですよ」
と言って、
小さなつづらを選びました。
そして家に帰って開けてみると、
中には金銀財宝が入っていた。
それを聞きつけた、
雀の舌を切った意地悪なおばあさんは、
「自分も金銀財宝が欲しい」
と思って雀の家へ向かいます。
でも、
おもてなしを楽しむことには興味がなく、
頭の中は、
「大きなつづらには、もっと宝が入っているはず」
ということでいっぱいです。
そして大きなつづらを持ち帰ります。
けれど、
開けてみると、
中に入っていたのはお化けたちでした。
子どもの頃は、
「欲張るとダメなんだな」
くらいに読んでいた気がします。
でも大人になって改めて考えると、
この物語って、
単純に
「良いことをしたら得をする」
という話ではないように感じます。
むしろ、
“損得に囚われすぎると、
本当に大切なものを見失う”
そんな話にも思えるんですよね。
意地悪なおばあさんは、
「もっと得したい」
「大きいほうが価値がある」
という気持ちに飲み込まれていました。
でもその結果、
本当に欲しかったものとは
逆のものを持ち帰ることになった。
これって、
現代でもよくあることかもしれません。
損したくなくて辞められない。
もっと得したくて無理をする。
周りより良く見られたくて頑張り続ける。
そうしているうちに、
自由さや、
安心感や、
自分らしさのほうを失ってしまうこともある。
逆に、
小さなつづらを選んだおじいさんには、
「これで十分ですよ」
という感覚がありました。
あれは、
“足りない”ではなく、
“満ちている”感覚だったのかもしれません。
その場のつながりや、
“今ここ”の豊かさを感じて
だからこそ、
豊かさが自然と巡ってきた。
そんなふうにも感じます。
昔話って、
子どもに読み聞かせるものでもありますが、
大人になってから読むと、
また違う景色が見えるものなんですね。
損したくないと思っているけれど
人って、
「損したくない」という氣持ちを
強く持っているように感じます。
わたし自身も、
そう感じることがあります。
でも最近、
それって本当に
“自分自身の氣持ち”なのかな?
と思うようになりました。
子どもの頃から、
「失敗しないように」
「ちゃんとやりなさい」
「チャンスは一回しかない」
「損しないように」
そんなふうに
教えられてきた人も
多いのではないでしょうか。
すると、
失敗=悪いこと
損をする=良くないこと
そんな感覚が
自然と心の中に
入っていくのかもしれません。
だから人は、
なんとか損失を回避しようとする。
サンクコストも、
そのひとつなのだと思います。
けれど、
よく考えてみると、
人生の最後に、
「あなたは得した量が多かったので賞をあげます」
とか、
「損した量が多かったのでペナルティです」
そんなことって、
別に無いんですよね。
損したか、得したか。
それって実は、
人生全体で見た時には
わからないものなのかもしれません。
一見「損」に見えた出来事が、
あとから大切な経験になることもある。
逆に、
「得した」と思っていたことが、
自分を縛ることもある。
だから、
本当の意味での損得なんて、
簡単にはわからないんですよね。
そしてわたしは、
「損したくない」
という氣持ちの中には、
“他人の目線”も
含まれているのではないかと感じています。
損をしたら、
「あの人、失敗したね」
と思われそうで怖い。
逆に得をしたら、
少し誇らしくなったり、
誰かに話したくなったりする。
もちろん、
それが悪いわけではありません。
でも、
もしそこに
他人からどう見られるか
という氣持ちが強く入っているなら、
わたしたちは、
“自分の本音”よりも、
“周りからどう見えるか”
を基準に
選んでしまっていることも
あるのかもしれません。
だから最近は、
「損していないか?」
ではなく、
「わたしは本当はどうしたい?」
という感覚を、
大切にしたいと思っています。
人生は、
損得の点数を競うものではなくて、
どんな時間を過ごしたか、
どんな気持ちで生きたか、
そちらのほうが
ずっと大切なのかもしれません。
サンクコストを抱えていると、夢実現が難しくなる
これは、実際にあることだと感じています。
サンクコストとは、
「損失回避」の心理とも言われるもので、
時間やお金をかけた分、
「失敗だった」と認めたくなくて、
なんとか取り戻そうとしてしまうことです。
これは、現実が前に動きにくくなる原因のひとつでもあります。
なぜなら、
「元を取った」と納得できるまで、
そこに留まり続けてしまうからです。
これ、わたし自身も
よくやってしまいがちなことです。
はじめは、
「これ、やりたい」
「楽しそう」
「欲しい」
そんな氣持ちで始めます。
けれど、続けていくうちに、
「思っていたのと違った」
「つまらない」
「使いにくい」
そんな気持ちになることがあります。
そういう時に、
スッと次へ進めれば問題はないのですが、
「せっかくやったのに」
「高かったから」
「まだ新しいし」
そんな思いが湧いてきます。
そして、もう氣持ちはそこにないのに、
なんとか損を回収しようとしてしまうんですね。
楽しくもない。
本当はやりたくもない。
それなのに、渋々続けてしまう。
面白さがないから時間もかかるし、
進みも悪くなります。
眉をひそめながら過ごす時間が増えていく。
その時の「やる理由」は、
未来の自分のためではなく、
「元を取るため」になっています。
けれど、そうして頑張ったとしても、
大きな達成感があるわけではなく、
「やれやれ…」という気持ちになるだけだったりします。
そして、その間、
サンクコストにエネルギーを注いでいる分、
夢実現への道のりが
止まってしまうこともあります。
これは、本当にもったいないことだと思うんです。
損を取り戻そうとする時間を、
夢を叶えるために使えたなら、
充実感も、喜びも、
きっと圧倒的に違うはずだから。
それでも、
わかっているのに悔しくて、
繰り返してしまうことがある。
それもまた、人間なんですよね。
だからわたしは、
「これ、サンクコストかもしれないな」と感じた時、
損をしていることに意識を向けるのではなく、
できるだけ早く損切りをして、
夢実現へ意識を切り替えるようにしています。
それは、
「元を取ること」より、
「夢が叶うこと」のほうが、
わたしにとってずっと嬉しいからです。^^
魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy
現状を変えたいなら、まずはここから
どうにかしたい悩みのヒーリングセッション
「コミュニティには“空氣”がある」
日々生活している中で、
私たちは様々なグループやコミュニティに所属しています。
身近なもので言えば、
家族、友達、学校のクラス、部活動、習い事、趣味の集まりなど。
けれど、コミュニティというのは、
ただ人が集まっているだけではありません。
そこには、それぞれ独自の“空気”や“臨場感”があります。
臨場感というのは、
その世界をリアルに感じる感覚のこと。
その中に長く身を置いていると、
その世界の価値観やルールが、まるで絶対的なもののように感じられることがあります。
たとえ少し不自然なルールだったとしても、
その中にいると、それが普通に思えてしまうこともあります。
けれど、一歩離れて俯瞰してみると、
そのコミュニティ全体の雰囲気や、
暗黙のルール、人の動きなどが見えてきます。
そして時には、
そのコミュニティがこれからどこへ向かっていくのかまで、感じ取れることもあります。
もし、
「理想の人生を生きたい」
「夢を叶えたい」
そんな想いがあるのなら、
今自分が身を置いている環境が、
本当に自分の成長に合っているのかを、静かに観察してみることも大切なのかもしれません。人との繋がりは人生を豊かにしてくれる。
だからこそ、どんな世界に身を置くのかは、とても大切なのかもしれません。
そして、自分の人生の舵だけは、誰かに預けすぎないこと。
時々立ち止まり、自分自身の心で感じ、考え、選び直していく。
それが、本当に自分の人生を生きるということなのかもしれません。

感情を吐き出していい
「感情を全部吐き出しなさい」
これは、
わたしがとても辛かった時に
言われた言葉でした。
もう、だいぶ昔のことです。
ショックな出来事があり、
氣持ちも動転していて、
吐き出したい感情は
たくさんあるはずなのに、
結局、
自分が本当に伝えたかった言葉は、
うまく出てきませんでした。
だからこそ、
苦しさを長く引きずりました。
「誰も、わたしの氣持ちなんて
わかってくれない」
そんな孤独も感じていました。
現代に生きるわたしたちの多くは、
「我慢すること」
を美徳として教えられてきました。
だから、
自分の思いや感情を抑え込むこと、
忘れたふりをすることに、
慣れてしまっている人も多いのだと思います。
そのため、
感情を感じていても、
それを“言葉”に変換することが
上手にできないことがあります。
喉まで出かかっているのに、
言葉にならない。
そんな感覚です。
わたしは昔から、
どんなに短い時間でも、
一緒に過ごす人には
氣持ちよく過ごしてほしい、
そんな思いを持っていました。
だから、
相手にイヤなことを言われても、
その場の空氣を壊さないように、
にこやかに接していることが
多かったのです。
そして後から、
いつもの“反省会”が始まります。
時間が経ってから、
その時の出来事を思い返して、
「あの時、本当はこう言いたかった」
という言葉が、
あとから溢れてくるのでした。
「どうして、あの時に
言えなかったんだろう」
そうやって、
悔しくなったり、
自分を責めてしまったりすることもありました。
そして最後には、
「今さら言っても仕方ないよね…」
と、
モヤモヤした氣持ちだけが残る。
そんな経験を、
何度もしてきました。
子どもの頃、
自分の氣持ちや思ったことを伝えた時に、
大人の都合で、
「わがままを言わないで」
と言われた経験がある人も
多いのではないでしょうか。
その積み重ねによって、
自分の素直な感情そのものを、
“わがまま”だと思ってしまう。
そんなこともあるのだと思います。
わたしは、
本音や本心を大切にしています。
それでも、
咄嗟の場面では
言葉が出てこなくて、
あとから悔しい思いをすることがあります。
でも、
わたしたちの感情は、
決して無駄なものではありません。
ちゃんと自分を感じているからこそ、
感情は生まれるのです。
怒りも、
悲しみも、
苦しさも、
人間が生きるために
必要だから存在しているのだと、
わたしは思っています。
怒っているなら、
怒りを。
イライラしているなら、
イライラを。
相手にぶつけるのではなく、
“ちゃんと感じて、伝えること”。
それは、
とても大切なことです。
そしてそれは、
心の健全さを守ることにも
繋がっていると思います。
抑圧や我慢ばかりを続けていたら、
人は壊れてしまいます。
「怒るなんて大人げない」
そんなことはありません。
感情を押し殺し続けることの方が、
ずっと苦しいのです。
喜びは表現していい。
感謝も伝えていい。
なのに、
ネガティブな感情だけは
出してはいけないのでしょうか。
そんなふうに抑え続けていたら、
心も体も、
苦しくなってしまいます。
感情は、
どんなものであっても、
適切な方法で、
上手に外へ出してあげることが大切です。
それは、
自分を大切にすること。
そして、
自己信頼を育てることにも
繋がっていくのだと思います。
激動の現代では、
「一人でもやっていける」
という芯の強さが、
必要なのだと思います。
群れていないと
立ち上がれないようでは、
本当の意味では弱い。
もちろん、
無理に強がる必要はありません。
それはただ、
自己信頼が育っていれば、
「一人でも大丈夫」
と、自然に思えるようになる
ということ。
それは、
自分自身に深い信頼を
持てているからです。
もちろん、
一つの団体やグループの中で、
一人ひとりが
個性や得意分野を持ちながら
支え合っているのであれば、
それは「群れている」のではなく、
バランスの取れた
健やかなチームなのだと思います。
でも私は、
どんなチームに所属していても、
「一人でも立っていられる力」
は必要だと感じています。
だからこそ、
「一人でもやっていける」
という芯を持っている人は、
どんな環境にも柔軟に対応し、
自分らしく生きていけるのだと思います。
そして、
最も小さな団体は
「家族」です。
まずは、
大切なパートナーと自分自身で、
二人三脚で歩んでいけること。
そのためにも、
一人で立ち上がれる力を
育てていくことが
大切なのだと思っています。
この力を育てるためには、
丁寧に自分と向き合うこと、
そして、
ゆったりと安心できる環境や時間が必要です。
日々の暮らしの中で、
私たちは少しずつ、
「一人でも立ち上がれる自分」
を育てていくことができます。
安心安全な場所で、
理想の人生を生きるために。
まずは、
自己信頼を育てていきましょう。
大切な答えは、いつも自分の中にある
わたしは、そう確信しています。
けれど、心身の状態によっては
体が疲れていたり、心が弱っていたりして、
「この判断や選択は、本当に正しいのだろうか?」
そんなふうに心もとなく感じて、
思わず外に答えを求めてしまうこともある。
それもまた、人間なのだと思います。
わたし自身も、心身が弱っていた時、
自分が感じている感覚への信頼が揺らぎ、
外に答えを探そうとしたことがありました。
でも、そういう時ほど、
「早く答えを見つけなくては」と焦ってしまうものです。
だからわたしは、
一度深く呼吸をして、
自分の感覚へ意識を向けるようにしています。
そして、思い出すのです。
人はいつの間にか、
「失敗してはいけない」
「間違ってはいけない」
そんな思い込みを抱えていることがあります。
だから、切羽詰まった時ほど、
その感覚が強く浮かび上がってくることもあります。
でも、
失敗してもいいんです。
間違ってもいいんです。
何度でも、やり直せばいい。
たった一回に、すべてをかけなくていいんです。
わたしは、
“正しく生きようとしすぎないこと”が大切だと思っています。
本当に大事なのは、
自分がどう在りたいのか。
どう生きたいのか。
そこなのではないでしょうか。
孤独を感じる時。
理解してくれる人が周りにいないと感じる時。
そんな時ほど、
「自分は間違っているのかもしれない」
そうやって、自分を疑ってしまうことがあります。
でも、自分を信じる力――
自己信頼は、一朝一夕で再構築されるものではありません。
それは、あなたが生きていく土台となる部分にあるものだからです。
だからこそ、
じっくり、ゆっくりと、
心の中にいる“本音の自分”と対話を重ねながら、
少しずつ信頼を育てていくしかないのだと思います。
その過程では、
誰かにサポートしてもらいながら歩む時期もあるかもしれません。
そんな時は、ちゃんと頼っていい。
助けを求めることも、大切な力です。
そして、少しずつ自己信頼が育っていく中でも、
時にはまた心が揺れることがあります。
そんな時も、
人に頼りながら、
同時に少しずつ、
“自分で自分を信じる力”を育てていく。
その繰り返しなのだと思います。
自分にとっての本当の答えは、
いつも自分の中にあります。
そして、それを自然に信頼し、
人生の指針にできた時、
人はきっと、
心にも体にも、
安心や安全、そして希望を感じられるのだと思います。
もちろん、
何かあった時に誰かに助けを求めることは、悪いことではありません。
けれど、何か起こるたびに
いつも誰かだけを頼りにしていたとしたら、どうでしょうか。
その人の都合が合わず、そばにいなかった時、
あなたはどうしますか?
もちろん、待つという選択もあると思います。
でも、できるなら――
いつも一番近くにいる「自分自身」に頼れること。
それは、きっと
心をゆったりと安心させてくれる力になるのではないかなと、
わたしは思っています。
昨日の続きになる形になりますが、
「本当はこうしたい」
そうした思いがあるのに、
相手や物事に対して罪悪感を感じて、
自分の希望を選ばず、
遠慮してしまう。
もしかすると、それはもう
慣れっこになっていることかもしれません。
罪悪感を感じたあと、
「このままにしておくしかない…」
そんなふうに、自分を納得させる。
そして、
「また今回も、自分のことは我慢か…」
そんな残念さや苦しさを感じながらも、
つらいからこそ、
次の瞬間には忘れようとするんですね。
一見、すっきりしたように見えても、
本当はずっと、
心のどこかでそのことが氣になっている。
だから、その氣持ちを抱えたまま、
ずっと過ごしているんです。
これは、そうした感覚に
少しずつ麻痺してしまっている状態なのかもしれません。
実は、わたしも
そうした先延ばしをよくしていました。
だから毎日、
どこか爽やかじゃない。
重たいものが、
ドロッとのしかかっているような感覚でした。
でも、その感覚にも慣れているから、
「日常って、こんなもの」
そう思ってしまっていることもあるんですね。
だから一度、
少しだけ想像してみてほしいのです。
もしそれが、
もう関係ない生活になっていたとしたら。
どんな感覚になりますか?
もし少しでも、
ホッとする感覚があったのなら、
その感覚の選択こそが、
あなたにとっての答えなのかもしれません。
そしてそれは、
あなたの理想の人生へつながっていく
選択でもあると思うのです。
わたしにも、こんな経験がありました。
以前、チーズフォンデュのセットを購入したことがありました。
その頃、チーズフォンデュが好きで、
家でも食べたかったんですね。
陶器のお鍋に、
ステンレスの台座。
液体アルコールを使うコンロのセットでした。
でも、使っていくうちに
焦げが取れなくなり、
いつしか使わなくなっていました。
それでも、
「せっかく買ったし…」
「捨てるのももったいないし…」
そう思って、ずっと持っていたんですね。
見るたびに、一瞬ときめく。
でも次の瞬間、
「使えないんだった…」
「何とかしなくちゃ…」
と、氣が重くなる。
ある時、模様替えをしていた時に、
その陶器鍋をうっかり落として割ってしまいました。
一瞬ショックでした。
でも同時に、
ホッとしたことを覚えています。
まるで、ずっと抱えていた重たいものが
ひとつ消えたように、
気持ちがパッと軽くなったんですね。
あなたは今、
何かに対しての罪悪感や申し訳なさを、
感じ続けることに
慣れてしまっていませんか?
わたしたち日本人は、
自分のことだけではなく、
相手のことを思いやる優しい心を持つ民族であり、
そうした在り方を、道徳などを通して学んできました。
こうした考え方には、素晴らしい長所がたくさんあります。
しかしその反面、短所となる部分もあります。
それは、
受け取ることや、
誰かのために行動することは得意でも、
「その場を卒業すること」
「そこから離れること」
が、とても苦手だということです。
それは、相手を思いやる優しい氣持ちでもあります。
自分だったらどう感じるだろう、と相手の立場に立って考えるからこそ、
申し訳なさや、罪悪感を感じてしまうのです。
実は、わたし自身もそうしたことが苦手です。
でも、最近思うんですね。
遠慮をしたり、氣を遣ったりして、
自分の氣持ちを後回しにすることは、
自分の人生や夢を、
自ら無碍にしてしまっていることでもあるのではないか、と。
また、人は、
「相手はきっとこう感じるだろう」
と考えますが、
本当のところはわからないものです。
そして最近、もうひとつ感じることがあります。
わたしたちはよく、
人や物事に対して罪悪感を抱くことがあります。
けれど実は、その“罪悪感”の本当の対象は、
自分自身なのではないかと思うのです。
本当は、こうしたい。
でも、言えない。
できない。
そうして、自分の思いや氣持ちを、
いつも後回しにしてしまっている。
自分の本音を汲み取らず、
叶えてあげていない。
だからこそ、心の奥底では、
自分自身に対して罪悪感を感じているのかもしれません。
けれど、実際に出来事が起こる時、
意識は外側に向いています。
そのため自然と、
外の人や物事に対して罪悪感を感じているように錯覚してしまうのです。
話を戻しますが、
わたしたちはもっと、
自分の人生や、人生の時間を大切に扱っていいのだと思います。
人への優しさや思いやりは、
本当に素晴らしいものです。
でもそれは、
自分を犠牲にしてまで
続けなければいけないものではない。
わたしは、そう思うのです。
また、そこを離れることは、
その人を嫌いになったということでもありません。
実際、そうではないことの方が多いと思います。
自分の方向性が変わった。
新しくやりたいことが見つかった。
そうした変化が起こり、
人生の転換期を迎えて、前に進んでいく。
ただ、それだけのことなのです。
そして、そうした変化もまた、
それまでの出会いや交流があったからこそ生まれた、
ありがたい変化なのだと思います。
だから、これまでの場所を出る時は、
感謝の氣持ちを伝える。
それだけで、十分なのです。
もしあなたも今、
遠慮をして、前へ進めずにいるのなら、
ぜひ一度、考えてみてほしいのです。
あなたが本当に生きたい人生は、
どんな人生ですか?
恋愛について考えていて、
あることに氣づきました。
わたしは昔、
恋愛を、
“人生を決める絶対的なもの”
のように
捉えていたんですね。
だから、
告白して振られたら終わり。
そんなふうに感じていました。
まるで、
“生きるか死ぬか”
くらいの重みを、
一回の告白に乗せていたんです。
でも今振り返ると、
そこには、
恋愛の履き違い
のようなものも
あった氣がします。
もちろん、
振られたら氣まずくなることは
あるかもしれません。
傷つくこともあると思います。
ですが、
それで人生が終わるわけではないんですよね。
世の中には、
何度も告白して、
何度も振られて、
それでも最後に結ばれた人たちもいます。
地球全体で見たら、
そういう人は、
きっと数えきれないほどいると思うんです。
そう考えると、
一回の告白に、
命をかけるように、
人生をかけるように、
思わなくてもいいのかもしれません。
でも、
これはきっと、
今の自分だからこそ、
見える景色でもある氣がしています。
過去のわたしにとって恋愛は、
「選ばれるかどうか」
が、
とても大きな意味を持っていました。
だから、
振られることは、
“自分の価値を否定されること”
のように感じていたんですね。
でも本当は、
恋愛は、
人生の合否ではなく、
人と人との関わりの一つ。
好きという氣持ちも、
「この人と関わってみたい」
という、
もっと自由で自然なものなのかもしれません。
そう思えるようになってきた時、
恋愛に対して、
少しだけ、
怖さが減った氣がしました。
そして今は、
“選ばれること”
よりも、
“自分の氣持ちに正直でいられること”
のほうが、
大事なのかもしれないなと思っています。^^
恋愛について考えていて、
あることに氣づきました。
それは、
「相手から告白してきてほしい」
という氣持ちの奥には、
“好き”
だけではなく、
「自分は傷つきたくない」
という思いも
隠れているのかもしれない、
ということです。
わたし自身、
恋愛について考えていた時、
「相手から言ってほしい」
「相手から来てほしい」
という氣持ちが、
とても強くありました。
でも、
よく見てみると、
そこには、
“自分はリスクを負いたくない”
という氣持ちも
あったんですよね。
もちろん、
これは悪いことではありません。
人は誰でも、
傷つくことが怖いものです。
拒絶されたくない。
恥ずかしい思いをしたくない。
好きな人に否定されたくない。
だからこそ、
「相手から来てくれたら安心」
なんですね。
でも、
そこにはもう一つ、
別のものも含まれている氣がしました。
それは、
「自分の理想の形で愛されたい」
という思いです。
例えば、
相手から告白してほしい
相手から追いかけてほしい
自分は選ばれる側でいたい
そんな願いですね。
一見すると、
待っている側は、
控えめで、
謙虚に見えるかもしれません。
ですがその奥には、
「こう動いてほしい」
「こう愛してほしい」
という、
強い希望があることもあります。
つまり、
表面的には受け身でも、
内側では、
相手を自分の理想の流れに
動かしたいと思っている部分も
あるのかもしれません。
だから、
わたしはふと、
「あれ?
これって少しコントロールにも
近いのかもしれない」
と思ったんですね。
もちろん、
だから悪い、
という話ではありません。
むしろ、
それだけ人は、
安心したいし、
傷つきたくないし、
愛されたいんだと思います。
でも、
本当に人と向き合う時というのは、
“相手には相手の自由がある”
ということも、
受け入れていく必要があります。
相手には、
相手のタイミングがあり、
感じ方があり、
選択があります。
だからこそ恋愛は、
思い通りに進めるものではなく、
お互いが自由な存在として
関わっていくものなのかもしれません。
恋愛は、
理想のシチュエーションを
叶えてもらうことではなく、
「この人と関わりたい」
という氣持ちを、
少し勇氣を出して差し出していくこと
なのかもしれません。
そう考えると、
好きな人に氣持ちを伝えるというのは、
相手を動かすためではなく、
“自分自身の心に正直になること”
でもあるのかもしれませんね。^^
魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy
現状を変えたいなら、まずはここからhttps://siawasenomahoutukai-mami.online/contents_24.html
どうにかしたい悩みのヒーリングセッション
恋愛について見ていると、
「相手から告白してほしい」
そう思っている人が、
とても多いように感じます。
自分からは動かず、
相手から来るのを待つ。
もし行動するとしても、
“相手に言わせるための行動”
をする。
そんな形ですね。
わたし自身も、
いつの間にか、
「女性は男性から告白されるもの」
つまり、
“選ばれる側”
という考えを持っていた時期がありました。
だから、
どこかでずっと、
相手からの言葉を期待して、
待っていたんですね。
でも、
よく考えてみると、
子どもの頃のわたしは、
もう少し素直に行動していました。
中学生の頃、
人氣のある先輩がいて、
バレンタインデーの日に、
300円くらいのチョコレートを買って、
家まで渡しに行ったことがあります。
今思うと、
あれは告白だったのかもしれません。
でも、
実際には、
ちゃんと言葉にはできなかった氣もします。
返事も特になかったのですが、
それでも、
勇氣を出して行動できたことが、
すごく嬉しかったんですよね。
そして、
もう一つ思い出があります。
これは恋愛ではなかったのですが、
同じクラスに、
とても優しい男の子がいました。
なぜか、
その子にもバレンタインのチョコを
渡したいと思ったんですね。
ですが当時、
学校では、
「生徒同士でチョコを渡すのは禁止」
ということで、
先生による荷物検査がありました。
そこでわたしは、
どうやって突破しようか考えました。
そして、
プリントをたくさん挟む
バインダーの中に、
チョコレートを隠したんです。
ちょうど、
バインダーの半分くらいのサイズのチョコを買って、
プリントを折り重ねて、
見えないようにして。
ドキドキしながら検査を受けましたが、
無事に見つからず、
その子に渡すことができました。
今思い返すと、
まるで小さな作戦みたいですよね。笑
でも、
こうして振り返ると、
昔のほうが、
もっと素直に
「氣持ちを表現する」
ということをしていた気がします。
大人になるにつれて、
傷つきたくない。
恥ずかしい思いをしたくない。
拒絶されたくない。
そんな氣持ちが増えていって、
“待つ”
という姿勢になっていくことがあります。
でも本来、
恋愛は駆け引きではなく、
「あなたと関わりたい」
という氣持ちを、
素直に差し出すものなのかもしれません。
たとえ結果がどうだったとしても、
勇氣を出して行動した経験は、
ちゃんと自分の中に残ります。
そして、
その経験は、
自分自身を少し好きにさせてくれるものでも
あるのかもしれませんね。^^
恋愛について考えていると、
あることを感じます。
それは、
好きになってくれた相手に対して、
“誠実に向き合う人”
と、
“コントロールしようとする人”
の、
二種類の人がいるように感じることです。
特に女性は、
子どもを産み育てるという本能や、
母性的な性質もあって、
自然と、
「人の役に立ちたい」
「助けたい」
「支えたい」
という氣持ちが
強く働きやすいのかもしれません。
わたし自身も、
片思いをしていた時に、
そうした氣持ちになった経験があります。
好きな人には、
元氣でいてほしい。
支えになりたい。
力になりたい。
そんなふうに、
自然と思ってしまうんですよね。
ですが、
人によっては、
「この人は自分に好意がある」
とわかった瞬間から、
態度が変わることがあります。
誠実に向き合おうとする人もいます。
ですが一方で、
コントロールしようとする
軽く扱う
不安にさせる
わざと依存させる
そんな関わり方をする人もいます。
まるで、
“好きになられた側が上の立場”
になったような空氣ですね。
もちろん、
恋愛の中では、
余裕の差が生まれることもあります。
ですが、
相手の好意を利用して、
不安にさせたり、
駆け引きをしたり、
心を揺さぶることで
優位に立とうとするのは、
わたしは、
少し悲しいことのように感じます。
なぜなら、
それは、
“愛されること”
ではなく、
“相手の気持ちを利用すること”
に近くなってしまうことが
あるからです。
最近は、
恋愛についての情報を見ていても、
・追わせる
・依存させる
・不安にさせる
・駆け引きする
という方向のものを
よく見かけます。
ですが本来、
人と人との関係は、
“安心”
の上に育っていくものでもあると思うんですね。
もちろん、
恋愛にはドキドキもあります。
ですが、
本当に心を開ける関係というのは、
「この人の前では、
無理をしなくていい」
そう思える関係なのではないでしょうか。
また、
優しい人ほど、
“愛すること”
と、
“相手を背負うこと”
が、
混ざってしまうことがあります。
ですが本当の意味で対等な関係というのは、
どちらかが
助け続ける関係ではなく、
お互いが自分の足で立ちながら、
必要な時に支え合える関係なのかもしれません。
わたしは今、
恋愛そのものには
あまり興味がありません。
ですが、
恋愛を大切にしている人たちが、
駆け引きではなく、
安心できる関係の中で、
幸せになれる世界になるといいなと思っています。^^
恋愛における悩み。
特に片思いの時には、
よく起こることではないかと思います。
相手が不機嫌そうに見えた時、
「私が何か悪いことをしてしまったのかな…?」
そう考えてしまうことがあります。
また、
相手の生い立ちや悩みを聞いた時には、
「わたしが支えなくちゃ」
「なんとかしてあげなくちゃ」
そんな使命感を感じることもあります。
さらに、
相手の機嫌が良くないように感じると、
「察しなくちゃ…」
そんな思いが働くこともあります。
恋愛において、
こうしたことが起こる時。
そこには、
ある氣持ちが動いています。
それは、
「嫌われるのが怖い」
そして、
「相手の役に立つことが大事」
という思いです。
これは、
子どもの頃から、
「〇〇らしくしなさい」
「人を助けなさい」
と教えられてきたことから、
生まれている部分もあると思います。
もちろん、
こうした教えは大切なものです。
ですが、
ここには共通していることがあります。
それは、
“人の課題を背負うこと”
なんですね。
そもそも、
相手の機嫌は相手の問題です。
もし何か伝えたいことがあるなら、
本来は、
「察してほしい」
ではなく、
言葉で伝える必要があります。
ですから、
相手が不機嫌なまま、
こちらに察することを求めているとしたら、
それは、
少し思いやりが不足している状態とも
言えるかもしれません。
また、
相手の悩みや問題も、
本来は本人が向き合い、
乗り越えていくものです。
いくら好きな相手でも、
人の課題を引き受ける必要はありません。
むしろ、
それをしてしまうことで、
結果的に相手のためにならないことも多いのです。
本来、
恋愛とは開かれた関係性です。
「察する関係」になるのは、
パートナーとなり、
信頼関係が育ち、
阿吽の呼吸のようなものが
自然に生まれてきた時なんですね。
そして、
相手の課題を一緒に背負うとしても、
それは、
お互いが支え合い、
協力し合う関係になってから、
一緒に乗り越えていくものです。
そこに至るまでには、
誠実さと信頼関係が
丁寧に育まれています。
人を助けること、
やさしくすること、
人のためになること。
そう教えられて、
やさしく育ってきた人ほど、
「誰かの力になりたい」
という氣持ちは、
とても強くなります。
だからこそ、
好きになった人にはなおさら、
支えたい。
助けたい。
氣分良くいてほしい。
そんな思いが働くんですね。
ですが、
それを続けていると、
あなたは
“愛する人”ではなく、
“助ける人”
になってしまいます。
さらに、
恋愛対象というより、
“空氣のような存在”
になってしまうこともあります。
だからこそ、
恋愛をうまくいかせたいなら、
ただの“いい人”になりすぎないこと。
その代わりに、
“わたし”
という個性を表現すること。
そうすると、
他との違いが自然に見えてきます。
そして相手は、
あなた自身の魅力に惹かれていくのだと思います。^^
好みや夢は、変わるもの。
一生同じものとして、
固定されるとは限りません。
一時的に興味の対象が変わったり、
ある時から、ガラッと
まったく違うものに変わることもあります。
わたし自身も、
そういう時を経験してきました。
まず、自分にとっての
“宝物”が変わったこと。
そして、
食べ物の好みが
一時的に変わったこともありました。
こうした変化が起こると、
大切だったものほど、
自分の中で静かにショックを受けたりします。
「どうして今まで好きだったのに、
なんとも感じなくなったんだろう?」
「どうして色あせて見えるんだろう?」
そんなふうに、
不思議で、少しさみしく感じました。
もう一度好きになろうとしてみても、
氣持ちが入らないんですね。
そして一方で、
「もうそこには戻りたくないな」
と思っている自分もいたりするんです。
食べ物の好みが変わった時も、
嫌いになったわけではないけれど、
自然と食べなくなりました。
具体的には、酸っぱいものです。
でも、これは今また好きになっています。
もう一つは辛い物ですね。
今は、
“美味しいと感じる辛さ”
が好き、という感じです。
そして、
自分にとっての宝物も、
こんなふうに変化していきました。
シール・透明でキラキラしたもの
↓
服・アクセサリー
↓
本
という感じです。
この世界には、
変わらないものはないと言います。
常に変化し続けている、
ということですね。
変化していないように見えて、
実は変化しているものもあります。
反対に、
見た目は変化しているように見えても、
内側は変わらないものもあります。
“永遠”という言葉がありますが、
「変わらないものはない」
と思うと、
少し切ない感覚にもなります。
でも、
変化しながら、
その時の最善の形へと変わっていき、
核になるものは変わらない。
そういう“永遠”も
あるのかもしれません。
これは、
“愛のカタチ”
にも少し似ている気がします。
変化することで、
進化しながら永遠を保つ。
そんな変化も、
あるのだと思います。
先ほどの、
食べ物や宝物の話で言うと、
変わらなかったものもありました。
それは、
「おいしい」と感じること。
そして、
心がワクワクするもの。
そこは、
ずっと変わらなかったんですね。
好みや夢が変わっても、
永遠に変わらないものもある。
人は変化を怖がる生き物ですが、
こうした視点を持てると、
少し安心感や希望が見えてくる氣がします。



わたしは、ずっと
「人に迷惑をかけてはいけない」
と思って生きてきました。
だから、人に何かをお願いしたり、頼ったりする時は、
とても申し訳ない氣持ちになって、罪悪感を感じていました。
そのため、そう感じなくて済む方法として、
「自分でやる」という選択をしてきました。
その方が、氣を遣わなくて済むし、楽だったからです。
ところが最近、その考え方が少しずつ変わってきました。
「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられて、
わたし自身も、それが正しいことなのだと思って生きてきました。
でも、自分はどうだろうと振り返ってみると、
お願いされたり、頼ってくださった方には、
心を込めて対応させていただいているんですよね。
それも、自分のできる範囲で精いっぱい、
真心を込めて。
そしてそこに、自然とやりがいや充実感を感じている自分がいました。
そう考えると、
これまでのわたしは、
自分の問題は、できるだけ自分で解決する。
でも、他者の問題は、お願いされたら自分が対応する。
そんな、一方通行の状態だったんだなと氣づきました。
そして、「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉も、
よくよく考えてみると、少し違和感があることに氣づいたんです。
ここでいう“迷惑”というのは、
本当は
「頼ること」
「助けを求めること」
「お願いすること」
そんな意味として使われているのではないかと思いました。
もしかしたらこれは、
わたしが小さい頃、
「面倒なことは起こさないでね」
「これ以上、手をかけさせないでね」
そんなふうに、その時すでに手一杯だった大人たちが、
自分を守るために使っていた言葉だったのかもしれません。
世の中には、
「助け合う」
「協力し合う」
「力を合わせる」
そんな言葉があります。
それなのに、「人に迷惑をかけてはいけない」と思って、
誰にも頼らず、全部自分でやろうとして生きるのは、
本当は無理のあることなのではないかと思うんです。
今はネット社会で、
人と直接会わなくても生きていけるように感じる時代です。
それでも、わたしたちは一人では生きていけません。
食べ物ひとつとっても、
スーパーに並ぶまでには、育ててくれる人、運んでくれる人、売ってくれる人がいます。
ネットで買い物をした時も、
届けてくださる宅配便の方がいるから、手元に届きます。
頼らずに生きるなんて、
山奥や無人島で一人で暮らす以外、
できないことなんじゃないかなと思うんです。
また、わたしはこれまで、
何かを確認するために調べてもらったり、手間をかけてもらうことさえ、
申し訳なくて、“迷惑をかけること”だと思っていました。
もちろん、自分でできることは自分でやったうえで、
それでも分からなかった時にお願いしているのですが、
それでも、「申し訳ない」と感じて、
自分の不安を押し殺していたんですよね。
でも、それは自分に対して、
とても酷いことをしていたんだなと氣づきました。
そんな様々なことを通して、
わたしは、もう遠慮しすぎないで生きていこうと思いました。
頼ることも、助けを求めることも、
人とつながって生きることの一部なんだと思います。






自分で勝手に思い込んで自らを縛っている、ということがあります。


魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy
ブレス・ダウジングについては、こちらでご案内しています。
もし、今のあなたに響くものがあれば、
そっと覗いてみてください。
人生を変えたいなら、まずはここから
どうにかしたい悩みのヒーリングセッション
はやく届かないかなぁ。
そんなふうに、宅配便を待つ時間。
時間指定をするほどでもないけれど、
できれば午前中の早い時間に受け取りたい。
そんな場面って、ありますよね。
午前中指定にしても、
その時間の幅は意外と長いものです。
先日、わたしもまさにそんな状況でした。
置き配にはしているけれど、強風で少し心配。
できるだけ早く受け取って、安心して次の作業に取りかかりたい。
そんな時、わたしは「ブレス・ダウジング」を使います。
「何時台に届く?」
問いを立てると、
“10時台”という答えが返ってきました。
そこで、それまでの時間は安心して
やりたいことに集中することに。
そして、10時40分頃。
もう一度、問いを立てます。
「今、届いている?」
返ってきた答えは「YES」。
窓を開けて確認すると、
ちょうど荷物が置かれていたので、そのまま受け取りに行きました。^^
このように、答えを“受け取れる”ようになると、
日常はとても快適になります。
考え続けたり、心配し続けたりする必要がなくなるからです。
それだけでも、ずいぶん軽やかになりますよね。
さらに、思っていた流れと違うときでも、
対策や解決のヒントが見えてくるので、とても心強いのです。
ここで、少し問いかけてみたいのですが。
あなたは、
「どうしたらいいんだろう?」と迷ったとき、
どこに答えを求めていますか?
外の情報でしょうか。
誰かのアドバイスでしょうか。
もちろんそれも大切ですが、
本当の答えは、すでに自分の中にあります。
ブレス・ダウジングは、
その“内側の答え”を受け取るための方法です。
透視や直感というと、
特別な人だけの能力のように思われがちですが、
そうではありません。
心や体の使い方を整え、
正しいステップで練習していけば、
誰でも育てていくことができる力です。
では、なぜ
使える人と使えない人がいるのでしょうか。
その違いは、とてもシンプルです。
「自己信頼」があるかどうか。
つまり、自分を信じる力です。
世の中には、さまざまな願望実現の方法やメソッドがあります。
最初はうまくいく。
でも続けていくうちに、うまくいったり、いかなかったりする。
やり方は合っているはずなのに、どうして…?
そう感じて、焦ったり、悩んだりして、
また新しい方法を探してしまう。
そんな経験はありませんか?
はじめにうまくいっていたのは、
いわゆる「ビギナーズラック」。
方法が間違っているわけではありません。
ただ、自己信頼がまだ育ちきっていないために、
再現性が安定していないだけなのです。
だからこそ大切なのは、
外側の方法を増やすことではなく、
自分とのつながりを深めていくこと。
そして、
自分の中にある答えを受け取り、
それを信じて選択していくことです。
ブレス・ダウジングは、
その感覚を育てていくための、とてもシンプルで実践的な方法です。
もしあなたが、
・迷いやすい
・つい考えすぎてしまう
・自分の選択に自信が持てない
そんな感覚を持っているなら、
一度、自分の内側にある答えと
つながってみませんか?
答えは、外に探しに行かなくても
もう、あなたの中にあります。魂が震える歓喜の人生に Dive into Joy
ブレス・ダウジングについては、こちらでご案内しています。
もし、今のあなたに響くものがあれば、
そっと覗いてみてください。
人生を変えたいなら、まずはここから
どうにかしたい悩みのヒーリングセッション
自分の希望を大切にすると、世界が変わる
自分の希望を口にすると、
「わがままかもしれない」
そんな風に感じてしまう人がいます。
かつての、わたしがそうでした。
その一方で、
誰かの要望は叶えてあげなければいけない。
応えてあげるべきだ。
そう思っていました。
たとえ「少しわがままかも」と感じても。
当時のわたしは、
どこか遠慮しながら生きていて、
人に頼ることは
迷惑をかけること、負担をかけることだと
思っていたんですね。
だから、なるべく自分でなんとかする。
いわゆる「いい人」でした。
その在り方は楽でもありました。
誰にも負い目を感じなくて済むからです。
でも今振り返ると、
どこか“味氣ない自分”でもありました。
クセがない。
安全だけど、惹かれるものも少ない。
本当は、少しのわがままや個性こそが、
人の魅力や深みになるものなんですよね。
自分の氣持ちや希望、要望を伝えること。
それは、わがままではなく
「自分を尊重すること」です。
そして不思議なことに、
それができる人ほど、周りからも大切にされていきます。
小さい頃から私たちは
「いい子でいなさい」
「わがままを言わない」
そう教えられてきました。
でもそれは時に、
自分の意思や感情を抑えることにもつながります。
もちろん、行き過ぎれば自己中心になります。
でも「いい人」になりすぎている人は、
自分で「ちょっとわがままかも」と感じるくらいで
ちょうどいいのかもしれません。
だからこそ、まずは一度だけでいいんです。
誰かに、小さなお願いをしてみる。
きっと氣づくはずです。
思っていたよりも、世界はやさしいこと。
願いは、意外と受け取ってもらえること。
それが「自分を大切にする」ということ。
そしてそこから、
自分の人生は少しずつ変わりはじめます。
幸せの魔法使い☆まみ
性を通して本来の自分に還る
心・身体・性を整え、人生を再構築する
電話番号:08053094890
営業時間:10:00~17:00
所在地 : 山形県北村山郡大石田町大字大石田乙690-1 サロン情報はこちら