浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾37日目 年齢や肩書きではなく、「その人」を見る

年齢や肩書きではなく、「その人」を見る
前回、自分の価値を外側の評価に決めてもらわないことについて書きました。
賞を取った。
いい学校に入った。
仕事で評価された。
役職を任された。
誰かから褒められた。
それらは、それぞれ嬉しい出来事です。
喜びは自分の中へ持って帰っていい。
でも、
他人との順位表まで、自分の内側へ持って帰らなくていい。
そんなことを考えていました。
すると今度は、「年齢」について思うことが出てきました。
そしてさらに考えていくと、これは年齢だけの話ではありませんでした。
男性だから。
女性だから。
○○大学卒だから。
この仕事をしているから。
○○出身だから。
私たちは知らないうちに、いろいろな「属性」を通して人を見ていることがあります。
でも、その属性を知ることと、
その人を知ることは、本当に同じなのでしょうか。
年齢は、生まれてきたタイミングの違い
私はもともと、人の年齢にあまり興味がありません。
年齢って、とてもシンプルに考えれば、
生まれてきたタイミングの違い
だと思っているからです。
誰もが同じように一年ずつ年齢を重ねていく。
ただ、そのスタートした時期が違う。
それだけなんですよね。
もちろん、生きてきた年月が違えば、経験できた時代や時間の長さには違いがあります。
でも、
「若いから価値が高い」
とも思わないし、
「長く生きているから人として優れている」
とも思いません。
年齢は、その人についての一つの情報。
それ以上でも、それ以下でもない。
私はそんなふうに感じています。
「何歳ですか?」という質問が、私は少し苦手
これは私個人の経験ですが、私は出会って間もない人から、
「何歳ですか?」
と聞かれることがこれまで何度もありました。
もちろん、年齢を聞くこと自体が悪いとは思いません。
仕事や医療など、年齢という情報が必要な場面もあります。
また、単純に年齢が気になるという人もいるでしょう。
ただ私自身は、プライベートな場面で年齢を聞かれることを、あまり心地よく感じません。
なぜなら、これまでの私自身の経験では、年齢を答えたあと、
「えっ、見えない!」
「若いね!」
「○歳くらいだと思った!」
というように、実年齢と見た目年齢を比較する話になることがとても多かったからです。
もちろん、その人は褒め言葉として言っているのかもしれません。
でも私は、「若く見える」と言われたいわけではありません。
だから、それを言われても特別嬉しいとは感じないのです。
むしろそこから会話の中心が、
「私がどんな人なのか」ではなく、「私は何歳に見えるのか」
になってしまうことのほうが、私は少し残念に感じます。
「若く見える」が褒め言葉になるとは限らない
「若く見えるね」
という言葉を嬉しいと感じる人もいると思います。
それなら、素直に喜んでいいと思います。
でも、すべての人にとって「若く見えること」が価値なのではありません。
これは前回書いた、
評価と自己価値を切り離す
という話にもつながっています。
若く見えると言われた。
嬉しいなら、嬉しいでいい。
でも、
「実年齢より若く見える=価値が高い」
「年齢相応に見える=普通」
「実年齢より上に見える=価値が低い」
という順位表まで、自分の内側へ持ち込む必要はありません。
ここでも、
喜びは持って帰る。
でも、順位表は持って帰らない。
でいいのだと思います。
年齢が分からなくても、会話はできる
「年齢が分かったほうが、話題を振りやすい」
という考え方もあると思います。
でも私は、年齢を知らなくてもいいと思っています。
たとえば音楽について話していて、
「この曲、知っていますか?」
と聞けばいい。
「知ってる!」
なら、そこから話せばいい。
「知らない」
なら、それもまた会話になります。
若いから昔の音楽を知らないとは限りません。
親の影響で昔の曲をたくさん知っている人もいるでしょう。
反対に、ある時代を実際に生きていても、その頃流行していたものにまったく興味がなかった人もいます。
本も、映画も、アニメも、スポーツも、歴史も同じです。
年齢から「知っているはず」「知らないはず」と予測するより、本人に聞けばいい。
私はそのほうがシンプルだと思います。
「○歳の人」ではなく、「この人」を知りたい
私が人について興味を持つのは、年齢とは少し違うところです。
何に興味を持っているんだろう。
どんなことを面白いと思うんだろう。
これまで、どんな人生を生きてきたんだろう。
どんな経験をしてきたんだろう。
どんな考え方をするんだろう。
何を大切にしているんだろう。
どんな感性を持っているんだろう。
私は、そういうところに惹かれます。
「○歳です」
という数字を知っても、その人がどんな人なのかはほとんど分かりません。
でも、
「こんなことが大好きなんです」
という話を聞いたら、その人の世界が少し見えてくる。
「昔こんな経験をして、こんなふうに考えるようになったんです」
と聞いたら、さらにその人が立体的になってくる。
私が知りたいのは、
年齢というカテゴリーではなく、その人自身なのだと思います。
これは年齢だけの話ではなかった
ここまで考えていて、
「あれ? これって年齢だけじゃないな」
と思いました。
男性だから。
女性だから。
○○大学卒だから。
この職業だから。
○○出身だから。
そういった属性から、
「きっとこういう人だろう」
と人物像を作ることがあります。
もちろん、属性はその人について知る一つの情報です。
でも、
属性はその人についての情報であって、その人そのものではありません。
たとえば、
「○○県出身です」
と聞いたとします。
そこから、
「じゃあ、きっとこういう人ですね」
と決めるのではなく、
「そこでの暮らしはどうでした?」
と聞いてみる。
すると、
「大好きだった」
という人もいれば、
「早く出たかった」
という人もいるかもしれない。
「子どもの頃に引っ越したから、ほとんど覚えていない」
という人だっているでしょう。
同じ属性を持っていても、その人が経験したことや感じたことは違います。
だから私は、
属性は会話の入口にはなっても、その人についての結論にはならない
と思います。
「男性だから」「女性だから」も同じ
性別についても同じです。
「男性だから、きっとこう考える」
「女性だから、これが好きだろう」
と考えるより、
「あなたはどう?」
と本人を見たほうがいい。
男性の中にも、いろいろな人がいる。
女性の中にも、いろいろな人がいる。
同じ年齢でも違う。
同じ学校を出ていても違う。
同じ仕事をしていても違う。
同じ地域で育っていても違う。
人は、それほど単純ではありません。
だからこそ面白いのだと思います。
カテゴリーから人を見るのではなく、その人からその人を知る
属性を先に置いて、
「この人は○○だから、きっとこうだ」
と考える。
これは、
カテゴリーから、その人を見ること
だと思います。
でも私は、
「この人は何が好きなんだろう?」
「どんなことを考えるんだろう?」
「どんなところで笑うんだろう?」
「どんなことに心を動かされるんだろう?」
と、その人とのやり取りの中で知っていきたい。
これは、
その人から、その人を知っていくこと
なのだと思います。
すると、
「えっ、そんなことが好きなんだ!」
「そんな経験していたんだ!」
「そんなふうに考えるんだ!」
という意外なものがたくさん出てくる。
私は、そこが人と関わる面白さだと思います。
自分にも、同じことをしなくていい
そしてこれは、他人を見るときだけの話ではありません。
自分自身についても同じです。
「私はもう○歳だから」
「女性だから」
「この仕事をしているから」
「この経歴だから」
と、カテゴリーから自分を見る必要もない。
「○歳の私は何をすべきか」
ではなく、
「今の私は何をしたい?」
と自分に聞けばいい。
「この年齢なら、こういう服を着るべき」
ではなく、
「今の私は、何を着たい?」
「この年齢なら、もう遅い」
ではなく、
「私は今、それをやってみたい?」
と聞いてみる。
年齢や性別や肩書きが、自分の人生の答えを持っているわけではありません。
答えを持っているのは、自分自身です。
他人の物差しで自分を測らない。そして自分の物差しで他人を決めない
前回、
外側の世界の物差しを、自分の内側へ持ち込まなくていい
ということを書きました。
今回考えてみて、それにはもう一つの方向があることに気づきました。
自分を他人の物差しで測らない。
そして同時に、
自分が持っている物差しで、他人を決めつけない。
自分をカテゴリーに押し込めない。
相手もカテゴリーに押し込めない。
「○歳の人」ではなく、この人。
「男性」「女性」ではなく、この人。
「○○大学卒の人」ではなく、この人。
「○○という仕事をしている人」ではなく、この人。
もちろん属性は、その人の一部分として存在しています。
でも、その一部分だけで、その人全部を知ったことにはならない。
人はもっと複雑で、もっと意外で、もっと一人ひとり違っています。
だから私は、
「この人は、どんな人なんだろう?」
というところから人を見ていたいと思います。
人を、一つの物差しで測らない
嫉妬について考えたことから始まり、
人との比較、
恋愛、
「選ばれる」という感覚、
社会からの評価、
学歴や肩書き、
自己価値、
そして年齢や性別などの属性へと、話がつながってきました。
一見すると、全部違う話のように見えます。
でも、その根っこには同じものがあるように思います。
それは、
人を、一つの物差しで測らないこと。
誰かと比べて、自分の価値を決めない。
社会からの評価で、自分の価値を決めない。
年齢や肩書きで、自分を決めない。
そして同じように、
誰かの年齢や性別、学歴、職業、出身地だけで、その人を決めない。
外側にある情報は、情報として受け取る。
でも、
「私は誰なのか」
「この人はどんな人なのか」
というところまで、外側の物差しに決めてもらわない。
自分については、自分自身とつながりながら知っていく。
誰かについては、その人自身と関わりながら知っていく。
そうやって一人ひとりを見ていったら、
「○歳だから」
「男性だから」
「女性だから」
「○○出身だから」
というカテゴリーの向こう側に、
その人にしかない一つの世界
が見えてくるのかもしれません。
私は、その世界のほうに興味があります。