浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾63日目 人生を楽しむって、どういうことだろう

「人生を楽しみたい」

 

そう思って、私はなるべく自分の好きなように、やりたいことをやって過ごしています。

 

でも、ふと思いました。

 

私は、本当に楽しんでいるのかな?

 

そもそも「楽しむ」って、どういうことなんだろう。

 

遊園地へ行って、ジェットコースターに乗って、「キャー!」と心が躍る。

 

おいしいものを食べて、「おいしい!」と幸せになる。

 

こういうものは、とても分かりやすい「楽しい」です。

 

でも、何もしないでダラダラしている時間は?

 

ただぼーっとしている時間は?

 

何かを考えることに夢中になって、気づいたら何時間も経っていたような時間は?

 

その瞬間には「楽しい!」なんて思っていなくても、あとから振り返って、

 

「ああ、あの時間、よかったな」

 

と思うことがあります。

 

 

 

もしかすると、楽しんでいる最中に「私は今、楽しんでいる」と自覚している必要なんてないのかもしれません。

 

むしろ、本当にその時間の中にいるときほど、そんなことを考えていないのではないでしょうか。

 

ただ、その時間を生きている。

 

そして後から、

 

「ああ、楽しかったな」

「幸せだったな」

「またやりたいな」

 

と気づく。

 

そう考えると、「人生を楽しむ」ということも、無理やり楽しいことを作ることではないような気がしてきました。

 

いつもポジティブでいることでもない。

 

毎日ワクワクすることでもない。

 

今起こっている人生に、ちゃんといること。

 

なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

「今ここ」をつかまなくていい


 

「今ここを生きる」

 

よく聞く言葉です。

 

でも私は以前、この言葉を聞くと、

 

「今ここって、どうやって感じるんだろう?」

 

と思うことがありました。

 

今を感じなきゃ。

 

身体を感じなきゃ。

 

私は今ここにいる、と意識しなきゃ。

 

そうやって「今」をがっちりつかもうとしていたのかもしれません。

 

でも、今は少し違うように感じています。

 

本当に今ここにいるときって、

 

「私は今ここにいる」

 

なんて考えていないんですよね。

 

お茶がおいしかったら、おいしい。

 

風が気持ちよかったら、気持ちいい。

 

何かに夢中になっていたら、ただ夢中になっている。

 

眠かったら、横になる。

 

そこには、「ちゃんと今を感じられているかな?」という確認がありません。

 

**私はここにいる。

 

でも、それを意識しているというより、今という時間と静かに溶け合っている。**

 

そんな感じなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

三昧という言葉


 

そこから「三昧」という言葉を思い出しました。

 

私は以前、三昧というと、

 

ものすごく集中して、

深い意識状態に入って、

何かをがっしりつかむように没頭する。

 

そんなイメージを持っていました。

 

でも、もしかすると私が感じていたのは、もっと静かなものなのかもしれません。

 

「集中しなくては」と力を入れるのではなく、

 

ただ、その経験の中にいる。

 

「私は今、溶け込んでいる」

 

とさえ思わない。

 

ただ経験している。

 

ただ感じている。

 

ただそこにいる。

 

そして、この感覚を考えていたとき、私の中に浮かんできたのが、静かな湖でした。

 

 

 

 

 

 

澄んだ湖のように


 

風のない日の湖。

 

湖面は静かで、鏡のように空を映しています。

 

木々も、雲も、そのまま映っている。

 

湖は、

 

「もっと正確に空を映さなくては」

 

なんて努力していません。

 

「私は今、空と一体になれているだろうか」

 

なんて確認もしていません。

 

ただ静かに、そこにあるものを映している。

 

なんだか、それに近い気がしました。

 

何かをもっと欲しいとつかみにいくのでもなく、

 

嫌なものを「これはいらない」と押し返すのでもなく、

 

起こっていることを経験しながら、静かにそこにいる。

 

**何も感じないのではありません。

 

むしろ、ちゃんと感じている。

 

でも、つかまない。

 

避けない。

 

ただ澄んでいる。**

 

それが私にとっての「全面的に感じる」ということなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

知らなかったのではなく、もう経験していた


 

そして、ここまで考えていて、もう一つ気づいたことがありました。

 

これは、まったく知らなかった感覚ではありませんでした。

 

「あ、この感じ、知ってる」

 

と思ったんです。

 

そういえば、あのとき。

 

何かに夢中になっていたとき。

 

ただ静かに過ごしていたとき。

 

何かを全面的に感じていたとき。

 

私はもう、何度も経験していた。

 

でも、その瞬間には分からなかった。

 

後になって言葉を知り、考えてみたことで、

 

「ああ、あれだったのか」

 

と過去の経験とつながった。

 

もしかすると、覚醒のようなものも、楽しむことも、そうなのかもしれません。

 

「今、私は覚醒している」

 

「今、私は人生を楽しんでいる」

 

と確認するものではなく、

 

その瞬間にはただ、生きている。

 

ただ感じている。

 

そして後から振り返ったとき、

 

「ああ、あのとき私は、あの瞬間を丸ごと生きていたんだな」

 

と気づく。

 

 

 

 

 

 

歓喜は、打ち上げ花火だけじゃない


 

私は、

 

「心が震える歓喜の人生に」

 

という言葉を大切にしています。

 

でも、歓喜というのも、いつも打ち上げ花火のように派手なものではないのだと思います。

 

大声で笑ったり、飛び跳ねたりするような歓喜もある。

 

一方で、

 

静かなところから、

身体の奥のほうから、

 

「ああ、生きているな」

 

と湧き上がってくるものもある。

 

だから、人生を楽しむために、毎日を楽しくしなくてもいい。

 

何もしない日があってもいい。

 

ぼーっとする時間があってもいい。

 

楽しくない日だってある。

 

湖には晴れた空だけではなく、曇り空も映ります。

 

雨が降れば、湖面には波紋が広がります。

 

それでも湖は、その日の空を映している。

 

だから私も、

 

「人生を楽しもう」と頑張らなくてもいいのかもしれない。

 

今日起こっている人生の中にいる。

 

感じる。

 

味わう。

 

そして、ときには何もせず、ただそこにいる。

 

その時間を後から振り返ったとき、

 

「ああ、楽しかったな」

 

と思うかもしれない。

 

「あの頃、幸せだったな」

 

と思うかもしれない。

 

それでいい。

 

人生を楽しむというのは、

 

楽しい人生を一生懸命つくることではなく、

 

自分の人生が起こっているその場所に、自分もいること。

 

なのかもしれません。






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