浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾38日目 自分を知ることと、自分を決めつけることは違う


自分を知ることと、自分を決めつけることは違う


 

これまで、人を一つの物差しで測らないことについて考えてきました。

 

年齢。

 

性別。

 

学歴。

 

職業。

 

出身地。

 

それらは、その人について知る一つの情報ではあるけれど、その人そのものではありません。

 

だから私は、

 

「○歳だから」

 

「男性だから、女性だから」

 

「○○大学卒だから」

 

「この仕事をしているから」

 

というカテゴリーから人を決めるのではなく、

 

「この人は、どんな人なんだろう?」

 

と、その人自身を見ていきたいと思っています。

 

でも、ここまで考えたところで、もう一つ大切なことに気づきました。

 

それは、

 

他人だけではなく、自分自身のこともカテゴリーに入れなくていい

 

ということです。

 

そして、これは年齢や性別だけの話ではありません。

 

私たちは、ときに自分自身の過去の経験から、

 

「私はこういう人」

 

というラベルを作ってしまうことがあります。

 

 

 

 

 

 

「私は○○な人」という自己イメージ


 

たとえば、

 

「私は飽き性だから」

 

「私は三日坊主だから」

 

「私は何をやっても続かないから」

 

そんなふうに、自分について思うことがあります。

 

私自身も、以前はそんなふうに思っていたことがありました。

 

何かを始めても長く続かなかった。

 

途中で興味がなくなった。

 

そんな経験が何度かあると、

 

「私は飽き性なんだ」

 

「私は三日坊主なんだ」

 

と、自分自身を説明する言葉になっていきます。

 

でも今考えてみると、

 

「3日でやめた」という出来事と、「私は三日坊主な人」という自己定義は、まったく同じではありません。

 

3日でやめた。

 

これは出来事です。

 

でも、

 

「だから私は三日坊主な人間だ」

 

となった瞬間、その出来事が人格のラベルになります。

 

 

 

 

 

 

出来事を、人格のラベルに変換しなくていい


 

これは、とても大切なことだと思います。

 

たとえば以前、何かを3日でやめたとします。

 

それは、

 

「そのとき、そのことを3日でやめた」

 

という事実です。

 

でも、そこから、

 

「私は続けられない人」

 

と決める必要はありません。

 

なぜなら、それは過去についての出来事であって、未来についての答えではないからです。

 

ところが、

 

「私は三日坊主」

 

というラベルを自分につけてしまうと、次に何か面白そうなものを見つけたとき、

 

「やってみたい!」

 

とワクワクした直後に、

 

「でも私、三日坊主だからな」

 

「どうせまた続かないだろうな」

 

という言葉が出てくることがあります。

 

まだ始めてもいないのに。

 

前回の出来事から作った自己イメージによって、これから起こることまで予測してしまう。

 

せっかく小さな火が灯ったのに、

 

自分でその火を消してしまう。

 

それは、とてももったいないことだと思います。

 

 

 

 

 

 

「やったことがない」も未来の答えではない


 

同じように、

 

「今までやったことがないから」

 

という言葉もあります。

 

確かに、今までやったことがない。

 

それは事実です。

 

でも、それが意味しているのは、

 

「今日まで経験していない」

 

ということだけです。

 

「今までやったことがない」

 

と、

 

「これからもやらない」

 

は違います。

 

「今まで経験していない」

 

と、

 

「私には向いていない」

 

も違います。

 

今までやったことがなくても、

 

「なんか面白そう」

 

と思ったなら、やってみてもいい。

 

むしろ、やったことがないからこそ、

 

まだ知らない自分に出会えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

とりあえず、やってみればいい


 

最近私は、何かに興味を持ったとき、

 

「続けられるかな?」

 

を最初に考えなくてもいいと思っています。

 

まず、

 

「やりたい」

 

と思った。

 

それなら、とりあえずやってみる。

 

やってみて面白かったら、またやる。

 

もっと知りたくなったら、学ぶ。

 

夢中になったら、夢中になればいい。

 

気づいたら半年、1年、10年と続いていることだってあるかもしれません。

 

反対に、やってみたら、

 

「あれ? 思っていたのと違う」

 

となることもある。

 

「これは私の好みじゃなかったな」

 

「もう十分かな」

 

と思うこともある。

 

だったら、やめてもいい。

 

それは失敗なのでしょうか。

 

私は、そうは思いません。

 

やってみたからこそ、

 

「これは今の私が求めているものではなかった」

 

と分かったのです。

 

それも、自分について知ったことの一つです。

 

 

 

 

 

 

続けることには価値がある。でも、続けられる人のほうが価値があるわけではない


 

もちろん、継続することには価値があります。

 

何年も続けることでしか身につかない技術もあるでしょう。

 

長く続けたからこそ見える世界もあります。

 

だから、

 

「継続なんて意味がない」

 

という話ではありません。

 

続けることには、続けることの価値がある。

 

でも、

 

「続けられる人のほうが、人として価値がある」

 

とは思いません。

 

ここは、まったく別の話です。

 

10年間続けた。

 

素晴らしい。

 

3日でやめた。

 

そうだったんだね。

 

それだけでいい。

 

「10年間続けたから、私は価値がある」

 

「3日でやめたから、私はダメ」

 

と、自分自身の価値までそこへ乗せなくていいのです。

 

これは、これまで考えてきた、

 

「評価と自己価値を切り離す」

 

ということと同じです。

 

続けたか。

 

続かなかったか。

 

それは一つの結果。

 

でも、自分の価値を測る採点結果ではありません。

 

 

 

 

 

 

「今の私は、まだこれをやりたい?」

 

私は、何日続いたかよりも、

 

「今の私は、まだこれをやりたい?」

 

ということのほうを大切にしたいと思います。

 

やりたい。

 

だったら続ける。

 

もういいかな。

 

だったらやめる。

 

分からない。

 

だったら少し休んでもいい。

 

そして、一度やめたことを半年後に、

 

「やっぱりまたやりたい」

 

と思ったら、また始めてもいい。

 

一度やめたら、二度と戻ってはいけないわけでもありません。

 

自分の気持ちは変わります。

 

興味も変わります。

 

それでいいのだと思います。

 

 

 

 

 

 

自己理解は、自分を固定することではない

 

 

私は、自分を知ることはとても大切だと思っています。

 

私は何が好きなのか。

 

何が嫌なのか。

 

何を心地よいと感じるのか。

 

何を大切にしたいのか。

 

どんなことに心が動くのか。

 

そうやって自分自身を知っていく。

 

でも、

 

自己理解と自己固定は違います。

 

「私はこれが好き」

 

と知ることと、

 

「私はこれを好きでいなければならない」

 

は違います。

 

今、大好きでもいい。

 

そして数年後、興味がなくなってもいい。

 

「昔の私は大好きだった。でも今は違うみたい」

 

それだけです。

 

昨日まで興味がなかったことに、今日突然惹かれてもいい。

 

「へえ、今の私、こんなものに興味を持つんだ」

 

と、新しい自分を知ればいい。

 

自己理解とは、

 

完成した自分の取扱説明書を作ることではなく、変化していく自分と、その都度出会い直すこと

 

なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

プラスのラベルなら、楽しく使えばいい


 

では、

 

「私は魅力的」

 

「私は優しい」

 

「私は明るい」

 

という、肯定的な自己イメージはどうでしょう。

 

私は、こういうものは楽しく持っていていいと思っています。

 

「私って魅力的」

 

うふふ。

 

それで終わり(笑)。

 

「私って優しいな」

 

それで終わり。

 

自分でそう思って、ちょっと嬉しくなったり、ニヤニヤしたり、気分が上がったりする。

 

そのくらいラフでいいと思います。

 

問題になるとしたら、その後に、

 

「だから○○しなければならない」

 

がついたときです。

 

 

 

 

 

 

「私は優しい。だから怒ってはいけない」は、もう別のもの


 

「私は優しい」

 

で終わればいい。

 

でも、

 

「私は優しい人だから、怒ってはいけない」

 

となったらどうでしょう。

 

「私は明るい人だから、落ち込んではいけない」

 

「私は自信のある人だから、不安になってはいけない」

 

「私は強い人だから、弱音を吐いてはいけない」

 

そうなった瞬間、もともとは自分を肯定するための言葉だったものが、

 

自分を縛るルール

 

に変わってしまいます。

 

優しい人だって怒ります。

 

明るい人だって落ち込みます。

 

自信がある人だって不安になります。

 

魅力的な人だって、変顔くらいします(笑)。

 

それで魅力がなくなるわけではありません。

 

人間には、いろいろな面があります。

 

一つの言葉だけで、その人全部を説明することなんてできないのだと思います。

 

 

 

 

 

 

「自分らしさ」のために、本当の自分を追い出さない


 

これは考えてみると、とても不思議なことです。

 

「私は明るい人」

 

という自分らしさを守るために、

 

今、本当に悲しんでいる自分へ、

 

「悲しんではいけない」

 

と言う。

 

「私は優しい人」

 

という自分らしさを守るために、

 

今、本当に怒っている自分へ、

 

「怒ってはいけない」

 

と言う。

 

それでは、

 

「自分らしさ」を守るために、今ここにいる自分を否定する

 

という逆転が起きてしまいます。

 

私は、それは少し違うと思います。

 

悲しいなら、悲しい。

 

怒っているなら、怒っている。

 

今日は自信がないなら、

 

「今日はちょっと不安なんだな」

 

でいい。

 

それも全部、自分です。

 

 

 

 

 

 

自分らしさは、固定されたキャラクターではない


 

もしかすると、自分らしさとは、

 

「私は明るくて、優しくて、前向きで……」

 

という固定されたキャラクターではないのかもしれません。

 

楽しい私。

 

悲しい私。

 

怒っている私。

 

自信のある私。

 

不安な私。

 

何かに夢中な私。

 

急に飽きた私。

 

10年続けた私。

 

3日でやめた私。

 

全部、自分です。

 

そのたびに、

 

「だから私は○○な人」

 

と結論を出さなくてもいい。

 

ただ、

 

「今の私は、そうなんだね」

 

と知る。

 

それでいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

何者かにならなくても、やっていい


 

そして、ここからもう一つ思うことがあります。

 

何かをするために、

 

「何者か」にならなくてもいい。

 

絵を描きたいなら、描けばいい。

 

「アーティスト」にならなくてもいい。

 

踊りたいなら、踊ればいい。

 

「ダンサー」と名乗らなくてもいい。

 

文章を書きたいなら、書けばいい。

 

何かを学びたいなら、学べばいい。

 

もちろん、仕事上必要な肩書きを使うこともあるでしょう。

 

自分が気に入っている肩書きを名乗るのもいい。

 

でも、

 

肩書きは、行動するための許可証ではありません。

 

「私は○○な人だから、これをしていい」

 

ではなく、

 

「やりたいから、やってみる」

 

でいい。

 

ただ何かをやっている。

 

ただ楽しんでいる。

 

それだけでも十分なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

過去の自分にも、今の自分を決めてもらわなくていい


 

ここまで考えてくると、以前の記事からずっと続いてきた話が、また一つにつながりました。

 

他人の物差しで、自分を測らなくていい。

 

自分の物差しで、他人を決めなくていい。

 

年齢や性別や肩書きで、自分を決めなくていい。

 

そして、

 

過去の自分から作った物差しで、今の自分を決めなくてもいい。

 

「昔の私はこうだった」

 

それは事実。

 

でも、

 

「だから今の私もこう」

 

とは限りません。

 

「今までやったことがない」

 

それも事実。

 

でも、

 

「だからこれからもやらない」

 

とは限りません。

 

過去は、自分について知るための大切な情報です。

 

でも、

 

過去は、未来の自分についての決定書ではありません。

 

 

 

 

 

 

自分を知りながら、自分を固定しない


 

結局、最後はまた自分のところへ戻ってきました。

 

私は何が好き?

 

私は今、何に興味がある?

 

私はこれをまだやりたい?

 

もう十分?

 

ちょっと休みたい?

 

またやってみたい?

 

その都度、自分に聞いてみる。

 

昨日と答えが違ってもいい。

 

一年前と違ってもいい。

 

途中でやめてもいい。

 

また始めてもいい。

 

新しいことに夢中になってもいい。

 

自分を知る。

でも、自分を決めつけない。

 

自分を理解する。

 

でも、自分を型にはめない。

 

自分を肯定する。

 

でも、その肯定さえ「こうでなければならない」という義務にしない。

 

そして、

 

「これ、やってみたい!」

 

と思うものが現れたら、

 

過去の自分に審査してもらわずに、とりあえずやってみる。

 

その先で、

 

まだ自分でも知らなかった自分に出会うかもしれません。

 

自分と仲良くなるということは、

 

「私はこういう人です」

 

と自分を完成させることではなく、

 

変わっていく自分と、その都度また仲良くなっていくこと

 

なのかもしれません。

 

今日の私は、今日の私。

 

明日はまた、少し違う私かもしれない。

 

それを楽しみながら生きていけたら、人生にはまだまだ、自分でも知らない自分と出会える余白がたくさん残っているのだと思います。








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