浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾45日目 「選ばれる私」より、「私は私」で生きていく




「選ばれる私」より、「私は私」で生きていく


 

前回、

 

「たくさんの選択肢から選べることだけが、自由なのだろうか」

 

ということについて書きました。

 

誰かから与えられた100個の選択肢の中に欲しいものがなければ、全部選ばなくてもいい。

 

101個目を自分で探しに行ってもいい。

 

まだこの世にないのなら、自分で作ってもいい。

 

そんなふうに、

 

私は、自分の人生を選ぶ人でありたい。

 

そう考えていたとき、ふと今度は反対側のことを思いました。

 

私たちは「選ぶ側」になるだけではありません。

 

ときには、自分自身が「選ばれる側」になることもあります。

 

そして、そこで私はまたひとつ、大切なことに気づきました。

 

 

 

 

 

 

「選ばれたい」と思うことは悪くない


 

たとえば恋愛では、

 

「好きな人に選ばれたい」

 

という言葉を耳にすることがあります。

 

好きな人から好きになってもらいたい。

 

魅力的だと思ってもらいたい。

 

両思いになりたい。

 

付き合いたい。

 

そのために自分を磨いたり、相手に魅力を感じてもらえるようなことをしたりする。

 

私は、それ自体が悪いことだとは思いません。

 

好きな人から好きになってもらえたら、やっぱり嬉しい。

 

恋が実るか実らないかは、当事者にとって、とても大きなことだと思います。

 

でも、「選ばれたい」という気持ちが大きくなっていったとき。

 

いつの間にか、主語が変わってしまうことがあります。

 

 

 

 

 

 

「私はどう思う?」から「相手は私をどう思う?」へ

 

 

最初は、

 

「私はこの人が好き」

 

だった。

 

ところが、いつの間にか、

 

「相手は私を好きだろうか」

 

になっていく。

 

そして、

 

どうしたら好きになってもらえるだろう。

 

どうしたら選んでもらえるだろう。

 

どんな私なら魅力的に見えるだろう。

 

こんなことを言ったら嫌われるかな。

 

こうしたらもっと好かれるかな。

 

そんなふうに、少しずつ相手の目を通して自分を見るようになっていく。

 

そして気がついたら、

 

「私はどうしたい?」より、「相手は私をどう思っている?」のほうが大きくなっている。

 

私が以前感じていた「選ばれる側になると、自分が下になったように感じる」という感覚は、もしかするとここだったのかもしれません。

 

選ばれる側だから価値が低いわけではない。

 

相手が自分より上なわけでもない。

 

そうではなくて、

 

相手の評価の下に、自分で自分を置いてしまう。

 

私は、そこに不自由さを感じていたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

私も、相手を選んでいる


 

好きな人に、

 

「私を選んでほしい」

 

と思う。

 

でも、そのもっと手前には、

 

「私は、この人を選びたいの?」

 

という問いがあります。

 

私はこの人が好き?

 

私はこの人と一緒にいたい?

 

私はこの人といるときの自分が好き?

 

私はこの関係を大切にしたい?

 

相手が私をどう評価するかだけではなく、

 

私にも、相手を見る目がある。

 

私にも選択する権利がある。

 

恋愛だけではありません。

 

「この会社に採用してもらえるだろうか」

 

だけではなく、

 

「私はこの会社で働きたいのだろうか」。

 

「この人に認めてもらえるだろうか」

 

だけではなく、

 

「私はこの人から学びたいのだろうか」。

 

「このコミュニティに受け入れてもらえるだろうか」

 

だけではなく、

 

「私はここにいたいのだろうか」。

 

相手にも選ぶ自由がある。

 

そして、

 

私にも選ぶ自由がある。

 

どちらかが上で、どちらかが下なのではなく、

 

お互いに自分の人生を選んでいる人なんですよね。

 

 

 

 

 

 

選ばれなかったら、私の価値は下がるのだろうか


 

好きな人に選ばれなかった。

 

告白したけれど、思いが通じなかった。

 

付き合いたかったけれど、付き合えなかった。

 

それは悲しいことだと思います。

 

私自身、もし当事者になったら、

 

「そんな簡単に割り切れないよ」

 

と思うかもしれません。

 

頭ではわかっていても、心はそんなに簡単ではない。

 

悲しいものは悲しい。

 

傷つくことだってある。

 

でも、

 

「悲しい」と「私の価値が下がった」は、同じではない。

 

と思うんです。

 

相手が私を選んだとしても、

 

私は私。

 

相手が私を選ばなかったとしても、

 

私は私。

 

好かれても、

 

私は私。

 

嫌われても、

 

私は私。

 

付き合えても、

 

私は私。

 

付き合えなくても、

 

私は私。

 

結果は変わっても、

 

私という存在そのものまで、その結果によって○になったり×になったりするわけではない。






 

「見る目がなかったのね」くらいでもいい


 

もし好きな人から選ばれなかったとき、

 

心のどこかで、

 

「そっか。私の魅力はこの人には響かなかったんだな」

 

くらいに思えてもいいのかもしれません。

 

もっと元気になったあとなら、

 

「まあ、私を見る目がなかったのね」

 

くらいに笑ってしまってもいい。

 

これは、

 

「私はこんなに素晴らしいのに、私を選ばないなんておかしい!」

 

と相手を見下すということではありません。

 

相手には相手の好みがある。

 

相手には相手の人生がある。

 

誰を好きになるかも、その人の自由です。

 

ただ、

 

その人の選択を、自分自身の価値を測る物差しにはしない。

 

ということです。

 

「この人には響かなかったんだな」

 

それだけ。

 

そして私もまた、自分の人生を歩いていく。

 

 

 

 

 

 

結果に○×をつけても、私には○×をつけない


 

私は最近、

 

「結果に○×をつけても、自分には○×をつけない」

 

ということをよく考えています。

 

試験に受かった。

 

落ちた。

 

仕事に採用された。

 

されなかった。

 

誰かに選ばれた。

 

選ばれなかった。

 

恋が実った。

 

実らなかった。

 

現実の出来事には結果があります。

 

その結果について、

 

「今回はうまくいった」

 

「今回はうまくいかなかった」

 

と判断することもできます。

 

でも、その結果をそのまま自分自身へ貼り付けて、

 

うまくいった私=○。

 

うまくいかなかった私=×。

 

選ばれた私=価値がある。

 

選ばれなかった私=価値がない。

 

とする必要はない。

 

出来事の結果と、私という存在は別のもの。

 

私は、その感覚を大切にしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

「私は私」という静かな場所


 

これをどう言葉にしたらいいのか、私はずっと考えています。

 

自己肯定感。

 

自己信頼。

 

自信。

 

存在価値。

 

どれも近いようで、少し違う。

 

今のところ、私にはとても単純な、

 

「私は私」

 

という言葉が一番近いように感じています。

 

誰かより優れているから、自信があるわけではない。

 

何かができるから、自分を認められるわけでもない。

 

誰かに選ばれたから、自分には価値があるわけでもない。

 

反対に、

 

できなかったからといって、私そのものがダメになるわけでもない。

 

誰かに嫌われたからといって、私そのものが小さくなるわけでもない。

 

私は私。

 

そのままここにいる。

 

それは、

 

「私はすごい!」

 

と大きな声で言うような自信とは少し違います。

 

もっと静かなもの。

 

誰かと比べなくてもいい。

 

証明しなくてもいい。

 

評価されなくても、なくならない。

 

私はこれを、

 

「静かな自信」

 

と呼んでもいいのかなと思っています。

 

 

 

 

 

 

選ばれることを喜びながら、自分を明け渡さない


 

もちろん、誰かから選ばれたら嬉しい。

 

好きな人から好きだと言われたら嬉しい。

 

仕事で評価されたら嬉しい。

 

自分の作品やサービスを選んでもらえたら嬉しい。

 

その喜びまで手放す必要はありません。

 

ただ、

 

選ばれることを、自分の存在価値の証明にはしない。

 

そして、

 

選ばれようとするあまり、

 

自分の気持ちを曲げたり、

 

相手に合わせ続けたり、

 

自分が本当はどうしたいのかを見失ったりしない。

 

選ばれる喜びを味わいながらも、

 

人生の主語は、

 

「私は」

 

のままにしておく。

 

私はどう感じる?

 

私は何が好き?

 

私は誰といたい?

 

私はどんな関係を望んでいる?

 

私はどんな人生を生きたい?

 

そこへ何度でも戻ってくる。

 

 

 

 

 

 

私は、私の人生を選ぶ人


 

誰かが私をどう思うかは、その人の自由です。

 

私には、それを完全に決めることはできません。

 

でも、

 

私が私をどう扱うかは、私が選べる。

 

そして、

 

私は自分の人生をどう生きるかを選ぶことができる。

 

選ばれる私になるために生きるのではなく、

 

私が私の人生を選びながら生きていく。

 

誰かに選ばれたら、一緒に喜べばいい。

 

選ばれなかったら、悲しいときは悲しめばいい。

 

でも、どちらになっても、

 

最後には自分のところへ帰ってくる。

 

私は私。

 

あなたが私を選んでも、

 

選ばなくても。

 

私という存在そのものまで、

 

あなたの選択によって大きくなったり、小さくなったりするわけではない。

 

そして私はまた、

 

「私はどうしたい?」

 

と自分に聞きながら、

 

次の一歩を自分で選んでいく。

 

誰かの評価の下に自分を置くのではなく、

 

誰かの上に立とうとするのでもなく、

 

ただ静かに、

 

私は私として、自分の人生の舵を握っていたい。






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