浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾50日目 夢に向かう時計は、自分で1ミリ動かせる

前回、マヤ暦について調べたことから、
「巡ってくるものと、一度きりの今が同時に存在している」
ということについて考えました。
季節は巡ります。
朝が来て、夜が来て、また朝が来る。
カレンダーも毎年、新しいものに変わります。
だから私たちは、なんとなく「明日も今日の続きがある」と感じながら暮らしています。
時計を見れば時間が過ぎていることはわかります。
でも、目の前の景色は昨日とそれほど変わりません。
いつもの部屋があって、いつもの道があって、車が走り、鳥が鳴いている。
自分自身も、昨日とそれほど変わっていないように感じます。
だから不思議なことに、
時間は確実に流れているのに、目の前の現実だけを見ていると、まるで時間が止まっているように感じることがあります。
そして、もしかするとその感覚が、
「まだ大丈夫」
「いつかできる」
「夢は待っていてくれる」
という感覚にもつながっているのかもしれません。
でも、今日という日は今日しかありません。
だからといって私は、
「人生には限りがあるんだから、今すぐやらなきゃ!」
と自分を追い立てたいわけではありません。
むしろ、それとは反対です。
夢に向かって、今日1ミリだけ動いてみる
夢を叶えたいと思ったとき、
ものすごい情熱が必要だと思ってしまうことがあります。
毎日頑張らなければいけない。
強い意志を持たなければいけない。
人生を変えるほどの大きな行動を起こさなければいけない。
でも、本当にそうなのでしょうか。
私は最近、
「今日、夢に向かって1ミリだけ動いてみる」
ということを意識しています。
1ミリだったら、それほど難しくありません。
発信したいことがあるなら、ほんの少し文章を書いてみる。
学びたいことがあるなら、少しだけ本を開いてみる。
試してみたいことがあるなら、一つだけ試してみる。
調べたいことがあるなら、一つだけ調べてみる。
それくらいなら、情熱の炎をものすごく燃やさなくてもできます。
場合によっては、淡々とした作業としてできることだってあります。
でも、それでも確実に、
昨日より1ミリ、夢の方向へ進んでいます。
1ミリのつもりが、10ミリになることがある
そして、これは私自身が実際にやってみて面白かったことなのですが、
「1ミリだけ動こう」
と思って始めたのに、気づいたら1ミリでは終わっていないことがあります。
10ミリ。
15ミリ。
あるいは、それ以上。
最初から10ミリ進もうとしたわけではありません。
「今日は1ミリでいい」
と思って始めただけなのです。
ところが、やってみたら意外と楽しかった。
もう少しやってみたくなった。
それで自然に続けていたら、結果としてずいぶん先まで進んでいた。
そんなことが、私自身の実験の中で実際にありました。
ここで大事なのは、
「だったら最初から10ミリやればいい」
ではないということです。
最初から10ミリをノルマにしてしまったら、まったく違うものになってしまいます。
1ミリだから、始められた。
1ミリだから、気軽だった。
そして始めてみたら、もう少しやりたくなった。
この順番が大切なのだと思っています。
夢に向かう時計は「手動」
普通の時計は、私が何もしなくても進んでいきます。
今日も時間は過ぎていきます。
明日もやってきます。
でも、
「自分の夢に向かって進む時計」
は、少し違うように思います。
こちらは、自動ではなく手動です。
自分が1ミリ動かしたら、1ミリ進む。
何か一つ発信したら、その分だけ進む。
一つ試してみたら、その分だけ今まで知らなかったことがわかる。
誰かに自分の存在を知ってほしいのであれば、何かを発信しなければ、その人には私が存在していることさえ伝わりません。
頭の中でどれほど考えていても、現実の世界では何も起きていないことがあります。
だから、ほんの少しだけ現実の中で手を動かしてみる。
すると、止まっていた夢の時計の針が、
カチッ。
と1ミリ進みます。
それだけでいい。
私はそんなふうに考えています。
でも、無理に時計を進めない
そしてもう一つ、私がとても大切だと思っていることがあります。
それは、
「進められるからといって、無理に進めない」
ということです。
夢を叶えたいからといって、毎日限界まで頑張る必要はありません。
むしろ私は、無理をするとその反動が来ることがあると思っています。
今日は頑張った。
でも頑張りすぎてしまった。
すると次に同じことをやろうとしたとき、
「ああ、またあれをやるのか……」
と嫌になってしまう。
それでは、せっかく好きだったものまで嫌になってしまうかもしれません。
だから私は、
「まだできるかどうか」
ではなく、
「まだやりたいかどうか」
を大切にしたいと思っています。
楽しいと思えるところまで。
やってみたいと思えるところまで。
そして、
「あ、ちょっと飽きたな」
と思ったら、そこでやめる。
中途半端でもいい。
切りのいいところまで終わらせなくてもいい。
またやりたくなったときに、続きをすればいい。
夢への道を、苦しい道にしない。
これは私にとって、とても大切なことです。
今日の1ミリは、自分で選べる
時間そのものを止めることはできません。
今日という日は過ぎていきます。
でも、その今日の中で、
「私は何をしてみたい?」
と自分に尋ねることはできます。
何もしないで休みたい日なら、休んでもいい。
今日は夢に向かって何かしてみたいと思ったなら、1ミリだけ動いてみてもいい。
そして1ミリ動いてみて楽しくなったら、そのまま2ミリ、3ミリと進んでもいい。
そこには上限もノルマもありません。
反対に、
「今日はここまで」
と思ったら、そこで止めてもいい。
夢に向かう時計は手動だからこそ、自分で動かすことができる。
そして、自分で止めることもできる。
私はそのくらい自由なものとして、夢と付き合っていきたいと思っています。
一度きりの今日だから
以前の私は、
「夢を叶えるためには、もっと強い情熱が必要なのかな」
と思うことがありました。
自分のお尻に火をつけなければいけない。
心の中に情熱の炎を燃やさなければいけない。
でも、火をつけようとしても、燃料がわからない。
そんなこともありました。
今は少し違います。
ものすごい炎を燃やさなくても、
「今日はこれをちょっとやってみようかな」
という小さな気持ちがあればいい。
1ミリ動いたら、昨日とは違う場所にいます。
そして、ときにはその1ミリが、思いがけず10ミリ、15ミリになっていく。
マヤ暦のことを知ったことから、
私は改めて「今日」という時間について考えるようになりました。
巡ってくるものはある。
でも、今日という組み合わせの時間は一度しかありません。
だから私は、
「時間がないから急がなきゃ」
ではなく、
「一度きりの今日、私は何をしてみたい?」
と自分に聞いてみたい。
夢は、私を追い立てるものではなく、
今日の私が1ミリずつ近づいていけるもの。
そしてその1ミリの積み重ねの先で、
いつの間にか、今まで見たことのなかった景色を見ているのかもしれません。
今日も夢に向かう時計を、
ほんの1ミリだけ、
自分の手で動かしてみようと思います。