浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾47日目 近づくと見えるもの、離れると見えてくるもの

近づくと見えるもの、離れると見えてくるもの
世界においても、人間関係においても、そして自分自身についても。
私たちは、どこから見るかによって、見えるものが変わるのだと思います。
近づくことで見えるものがある。
近づくことで、見えなくなるものもある。
離れることで見えてくるものがある。
そして離れることで、見えなくなるものもある。
この4つは、どれか一つが正しいのではなく、同時に存在しているのだと思います。
近づいたからこそ、見える世界
たとえば、あるコミュニティに所属したとします。
そこに入って、その場所に関心を向け、人と関わっていく。
すると、外から眺めていただけではわからなかったことが、たくさん見えてきます。
そこにいる人たちのこと。
人と人との関係性。
その場所で大切にされていること。
言葉にはなっていない空気感。
近づいたからこそ、見えるものです。
けれど、その世界に近づき、そこへの臨場感が強くなればなるほど、反対に見えにくくなるものもあります。
たとえば、自分自身。
「私は本当はどう感じているんだろう」
「私はこれを大切だと思っているのかな」
「私はここにいたいんだろうか」
周りの人や、その場所で起きていることが大きく見えるほど、自分自身の感覚が小さくなってしまうことがあります。
近くにいると、それが「世界のすべて」に見えることがある
そして、とても興味深いのは、
近くにいるときには、自分が近くにいることに気づきにくい
ということです。
その場所の考え方や価値観、人間関係、そこで起きている出来事が、自分にとってとても大きなものになっていく。
すると、いつの間にか、
「これが世界なんだ」
という感覚になってしまうことがあります。
本当は、広い世界の中にある一つの場所なのに。
たくさんある価値観の中の、一つの価値観なのに。
その中にいるときには、それがなかなかわからない。
少し離れてみて、初めて、
「ああ、私はずいぶん近くから見ていたんだ」
「世界そのものだと思っていたけれど、世界の一部分だったんだ」
と気づくことがあります。
離れたからこそ、見えてくるもの
これは、大きな絵を見ることに似ていると思います。
大きな絵にぐっと近づいてみる。
すると、絵の具の重なりや筆の跡、細かな線までよく見えます。
それは、近づかなければ見ることのできない世界です。
でも、その距離からは、
「この絵には何が描かれているのか」
という全体像が、かえって見えにくくなります。
そこで数歩、後ろに下がってみる。
すると、それまで見えなかった全体の構図や色のバランスが、ふっと見えてきます。
「ああ、こういう絵だったんだ」
と気づく。
けれど今度は、近くにいたときに見えていた細かな筆の跡は見えなくなります。
つまり、
近いほうがよく見えるわけでも、遠いほうがよく見えるわけでもない。
見えるものが違うのです。
自分を見るときも同じ
これは、自分自身についても同じなのだと思います。
自分の感情に近づいていけば、
「私は悲しかったんだ」
「本当は嫌だったんだ」
「私はこうしたかったんだ」
という細かな感覚が見えてきます。
でも、その感情の真ん中にいるときには、それが自分の世界のすべてのように感じられることもあります。
そんなとき、ほんの少し離れたところから、
「今の私は、こう感じているんだな」
と眺めてみる。
すると、それまでとは違うものが見えてくるかもしれません。
反対に、離れたところから自分を分析することばかりしていたら、今度は自分の生々しい気持ちがわからなくなることもあります。
だから、どちらか一方にいなければならないわけではないのだと思います。
私は、見る位置を変えることができる
そして今回、私がとても大切だと思ったことがあります。
それは、
私は、ずっと同じ場所から見続けなくてもいい
ということです。
近づくこともできる。
離れることもできる。
中に入ってみることもできる。
外から眺めてみることもできる。
自分に近づくこともできるし、人や世界に目を向けることもできる。
私は、どの位置にも移動することができる。
一度近づいたからといって、そこに居続けなければならないわけではありません。
離れたからといって、二度と近づけないわけでもありません。
近づいて見てみる。
少し離れて見てみる。
そして、必要ならまた近づいてみる。
そうやって位置を変えるたびに、それまで見えなかったものが見えてくる。
「これがすべて」と感じたときこそ
もしかすると、
「これが世界のすべてだ」
と感じているときほど、私たちは何かにとても近づいているのかもしれません。
そんなとき、
「少し違う位置から見たら、何が見えるだろう?」
と、自分の立ち位置を変えてみる。
答えを変えるのではなく、見る場所を変えてみる。
すると、今まで見えていたものが少し小さくなり、その代わりに、今まで見えていなかったものが姿を現すかもしれません。
世界が変わったのではなく、
私の立っている位置が変わったから、見える世界が変わった。
そして何より、
私は、自分でその位置を動くことができる。
近づいてもいい。
離れてもいい。
また戻ってきてもいい。
世界を見る距離を、自分で選ぶことができる。
それもまた、自分の人生を自分で生きるということの一つなのかもしれません。