浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾70日目 「できるかな?」より「やってみた私はどう感じる?」―――人生を、もう少し実験にしてみる

何かを見つけたとき、
「これ、面白そう」
「ちょっとやってみたい」
「なんだか気になる」
そんなふうに、心が動くことがあります。
でも、その直後に、
「私にできるかな?」
という言葉が出てくることもあります。
できるかな。
続けられるかな。
向いているかな。
失敗しないかな。
せっかく始めても、また途中でやめるんじゃないかな。
そうやって考えているうちに、
最初にあった小さな
「やってみたい」
が、だんだん小さくなってしまう。
でも最近、私は思います。
最初から、
「できるかな?」
と考えなくてもいいんじゃないかな、と。
できないから、習うんじゃない?
そもそも習い事って、
「できないから習う」
ものでもあります。
最初からできるのなら、習う必要がないことだってあります。
できない。
知らない。
やったことがない。
だから、
「ちょっとやってみたい」
と思う。
それなのに、始める前から
「ちゃんとできるかな?」
と自分に求めるのって、なんだか不思議です。
まだやったことがないのだから、
できるかどうかなんて、わからなくて当然です。
だったら、
「できるかな?」
ではなく、
「やってみた私は、どう感じるんだろう?」
くらいでもいいのではないでしょうか。
人生を、もう少し実験にしてみる
「始める」と考えると、少し重たく感じることがあります。
これからずっと続けるような感じがしたり、
上手にならなければいけないような気がしたり、
何か成果を出さなければいけないように感じたり。
でも、
「ちょっと実験してみよう」
だったらどうでしょう。
一度、体験してみる。
ちょっと触ってみる。
少し勉強してみる。
やってみて、
自分がどう感じるのか観察してみる。
面白かったら、もう少しやってみる。
もっと知りたくなったら、続けてみる。
「なんか違うな」と思ったら、そこで終わってもいい。
実験なのだから、
最初から答えがわかっている必要はありません。
むしろ、
わからないから、やってみる。
それでいいのだと思います。
「続けるかどうか」は、やってみた私に任せる
始める前の自分には、
その先のことなんてわかりません。
一度やっただけで夢中になるかもしれない。
半年くらい楽しんで満足するかもしれない。
10年続くものになるかもしれない。
一度やって、
「あ、これは違った」
と思うかもしれない。
どれになるかは、
実際に体験してみなければわかりません。
だから、
未来の自分に
「ちゃんと続けられる?」
と保証を求めなくてもいい。
今の私は、
「やってみたい」
と思っている。
だったら、まずはやってみる。
続けるかどうかは、
実際にやってみた私に決めてもらえばいい。
私は、それくらいでもいいと思っています。
やってみると、「私」が少しずつわかってくる
そして、実際にいろいろなものを体験してみると、
自分について、いろいろなことがわかってきます。
「私は、こういうものが好きなんだ」
「これはあまり好きじゃないんだ」
「これは苦手だけど、なぜか面白い」
「これは得意だけど、別に好きではない」
「全然できなかったけど、もう一度やりたい」
「できたけど、もう十分」
そんな発見が出てくる。
これって全部、
自分を知ること
なんですよね。
頭の中で、
「私は何が好きなんだろう?」
と考えることもできます。
でも、実際に触れてみなければわからない自分もいます。
食べたことのない料理の味を、頭の中だけでは知れないように。
行ったことのない場所で、自分が何を感じるのかわからないように。
やったことのないことを、
「私は好きだ」
とも、
「私は嫌いだ」
とも、
本当のところはまだわからない。
世界に触れてみて、
初めて出会える自分がいます。
「できなかった」も、自分を知るための情報
そして、ここで大切にしたいことがあります。
やってみた結果、
できなかった。
うまくいかなかった。
思っていたより苦手だった。
それでもいい。
それは、
「やってみた結果、今回はこうだった」
という情報だからです。
反対に、
思ったより簡単にできた。
すごく楽しかった。
もっとやりたくなった。
それも情報です。
できた。
できなかった。
好きだった。
好きじゃなかった。
面白かった。
つまらなかった。
続けたい。
もう十分。
一つ一つ体験するたびに、
「私はこう感じる人なんだ」
ということが少しずつわかってくる。
だから、どんな結果になっても、
やってみる前には知らなかった「私」を一つ知ることができます。
でも、その結果は「私そのもの」ではない
そして、ここで私はとても大切にしたいことがあります。
やったことの結果と、私自身をくっつけないこと。
できた。
だから、私は○。
できなかった。
だから、私は×。
ではありません。
できたのなら、
「私は今回、これができた」
ただ、それだけ。
できなかったのなら、
「私は今回、これはできなかった」
ただ、それだけ。
好きだったなら、
「私はこれが好きなんだ」
好きじゃなかったなら、
「私はこれは好きじゃないんだ」
それだけです。
そこから、
「だから私は優秀な人間」
「だから私はダメな人間」
と、
私そのものを評価しなくてもいい。
私は、評価の壇上には立たない
結果には、評価がつくことがあります。
試験なら点数がつく。
競技なら順位がつく。
仕事なら成果が出る。
できた、できなかったという結果もあります。
でも、
それは私そのものではありません。
結果について、
「今回はうまくいった」
「今回はうまくいかなかった」
と振り返ることはできる。
そこから、
「次はこうしてみよう」
と考えることもできる。
でも私は、
その結果と一緒に、
自分自身まで評価の壇上に上げなくてもいいと思っています。
私は私。
結果が○だったから、
私が○になるわけではない。
結果が×だったから、
私が×になるわけでもない。
私は、評価の壇上には立たない。
実験なら、「失敗」ではなく「結果」が残る
そう考えると、
人生を少し「実験」のように捉えることができます。
実験なら、
予想通りにならなかったからといって、
実験そのものが無意味になるわけではありません。
「こうやったら、こうなった」
という結果が残ります。
人生でも、
「やってみたら、私には合わなかった」
「やってみたら、思っていた以上に好きだった」
「一度やったら満足した」
「もっとやりたくなった」
それでいい。
成功した私。
失敗した私。
ではなく、
体験した私。
そして、
その体験から、
自分について一つ知った私。
「やってみたい」は、自分と出会う入口なのかもしれない
「面白そう」
「ちょっと気になる」
「やってみたい」
そんな小さな気持ちは、
単なる気まぐれに見えることもあります。
でも私は、
そこから新しい自分に出会うこともあると思っています。
やってみなければ、
自分がそれを大好きになることも知らないままだったかもしれない。
自分に意外な才能があることにも気づかなかったかもしれない。
反対に、
「これは私には必要ない」
ということにも気づかなかったかもしれない。
どちらも、
自分を知ることです。
だから、
「できるかな?」
と思ったら、
少しだけ問いを変えてみる。
「やってみた私は、どう感じるんだろう?」
わからない。
だから、やってみる。
やってみて、
自分の心に聞いてみる。
楽しい?
面白い?
もっとやりたい?
もう十分?
違うものが気になる?
そして、
その答えを聞きながら、
また次を選んでいく。
興味を持つ。
やってみる。
感じる。
自分を知る。
そして、また選ぶ。
人生を、もう少し実験にしてみる。
うまくいく自分を証明するためではなく、
まだ知らない自分と出会うために。
そして、どんな結果が出ても、
最後に戻ってくる場所は同じ。
私は私。
できても、私。
できなくても、私。
続いても、私。
続かなくても、私。
結果には○や×がつくことがあっても、
私自身には、○も×もつかない。
だから安心して、
もう少し世界を試してみてもいいのだと思います。