こんにちは。
このブログ「まっさらな瞳」へようこそ。
ここは、あなたが本来の自分を思い出し、心をオープンにして、毎日を軽やかに、そして自分らしく生きるためのヒントをお届けする場所です。
私たちは生まれたとき、誰もが純粋な瞳を持っています。その瞳の奥には、ありのままの自分がいて、世界と柔らかくつながりながら輝く力があります。けれど、日々の生活や人との関わりの中で、その純粋さや自由さを忘れてしまうこともあります。
このブログでは、
自己信頼や内なる叡智を思い出すこと
自分らしい生き方を育む気づき
夢を叶えながら、心地よく輝く日々のヒント
などを、私自身の体験や講座での学びとともにお届けしていきます。
ヒーラー養成講座やセクシャルウェルネスなどの学びも、この「真っさらな瞳」という視点で統合され、あなたの中の本来の力を呼び覚ますきっかけになれば嬉しいです。
さあ、一緒に、目を覚ましたばかりの赤ちゃんのような、真っさらな瞳で、毎日を見つめてみませんか。

昨日の続きになる形になりますが、
「本当はこうしたい」
そうした思いがあるのに、
相手や物事に対して罪悪感を感じて、
自分の希望を選ばず、
遠慮してしまう。
もしかすると、それはもう
慣れっこになっていることかもしれません。
罪悪感を感じたあと、
「このままにしておくしかない…」
そんなふうに、自分を納得させる。
そして、
「また今回も、自分のことは我慢か…」
そんな残念さや苦しさを感じながらも、
つらいからこそ、
次の瞬間には忘れようとするんですね。
一見、すっきりしたように見えても、
本当はずっと、
心のどこかでそのことが氣になっている。
だから、その氣持ちを抱えたまま、
ずっと過ごしているんです。
これは、そうした感覚に
少しずつ麻痺してしまっている状態なのかもしれません。
実は、わたしも
そうした先延ばしをよくしていました。
だから毎日、
どこか爽やかじゃない。
重たいものが、
ドロッとのしかかっているような感覚でした。
でも、その感覚にも慣れているから、
「日常って、こんなもの」
そう思ってしまっていることもあるんですね。
だから一度、
少しだけ想像してみてほしいのです。
もしそれが、
もう関係ない生活になっていたとしたら。
どんな感覚になりますか?
もし少しでも、
ホッとする感覚があったのなら、
その感覚の選択こそが、
あなたにとっての答えなのかもしれません。
そしてそれは、
あなたの理想の人生へつながっていく
選択でもあると思うのです。
わたしにも、こんな経験がありました。
以前、チーズフォンデュのセットを購入したことがありました。
その頃、チーズフォンデュが好きで、
家でも食べたかったんですね。
陶器のお鍋に、
ステンレスの台座。
液体アルコールを使うコンロのセットでした。
でも、使っていくうちに
焦げが取れなくなり、
いつしか使わなくなっていました。
それでも、
「せっかく買ったし…」
「捨てるのももったいないし…」
そう思って、ずっと持っていたんですね。
見るたびに、一瞬ときめく。
でも次の瞬間、
「使えないんだった…」
「何とかしなくちゃ…」
と、氣が重くなる。
ある時、模様替えをしていた時に、
その陶器鍋をうっかり落として割ってしまいました。
一瞬ショックでした。
でも同時に、
ホッとしたことを覚えています。
まるで、ずっと抱えていた重たいものが
ひとつ消えたように、
気持ちがパッと軽くなったんですね。
あなたは今、
何かに対しての罪悪感や申し訳なさを、
感じ続けることに
慣れてしまっていませんか?
わたしたち日本人は、
自分のことだけではなく、
相手のことを思いやる優しい心を持つ民族であり、
そうした在り方を、道徳などを通して学んできました。
こうした考え方には、素晴らしい長所がたくさんあります。
しかしその反面、短所となる部分もあります。
それは、
受け取ることや、
誰かのために行動することは得意でも、
「その場を卒業すること」
「そこから離れること」
が、とても苦手だということです。
それは、相手を思いやる優しい氣持ちでもあります。
自分だったらどう感じるだろう、と相手の立場に立って考えるからこそ、
申し訳なさや、罪悪感を感じてしまうのです。
実は、わたし自身もそうしたことが苦手です。
でも、最近思うんですね。
遠慮をしたり、氣を遣ったりして、
自分の氣持ちを後回しにすることは、
自分の人生や夢を、
自ら無碍にしてしまっていることでもあるのではないか、と。
また、人は、
「相手はきっとこう感じるだろう」
と考えますが、
本当のところはわからないものです。
そして最近、もうひとつ感じることがあります。
わたしたちはよく、
人や物事に対して罪悪感を抱くことがあります。
けれど実は、その“罪悪感”の本当の対象は、
自分自身なのではないかと思うのです。
本当は、こうしたい。
でも、言えない。
できない。
そうして、自分の思いや氣持ちを、
いつも後回しにしてしまっている。
自分の本音を汲み取らず、
叶えてあげていない。
だからこそ、心の奥底では、
自分自身に対して罪悪感を感じているのかもしれません。
けれど、実際に出来事が起こる時、
意識は外側に向いています。
そのため自然と、
外の人や物事に対して罪悪感を感じているように錯覚してしまうのです。
話を戻しますが、
わたしたちはもっと、
自分の人生や、人生の時間を大切に扱っていいのだと思います。
人への優しさや思いやりは、
本当に素晴らしいものです。
でもそれは、
自分を犠牲にしてまで
続けなければいけないものではない。
わたしは、そう思うのです。
また、そこを離れることは、
その人を嫌いになったということでもありません。
実際、そうではないことの方が多いと思います。
自分の方向性が変わった。
新しくやりたいことが見つかった。
そうした変化が起こり、
人生の転換期を迎えて、前に進んでいく。
ただ、それだけのことなのです。
そして、そうした変化もまた、
それまでの出会いや交流があったからこそ生まれた、
ありがたい変化なのだと思います。
だから、これまでの場所を出る時は、
感謝の氣持ちを伝える。
それだけで、十分なのです。
もしあなたも今、
遠慮をして、前へ進めずにいるのなら、
ぜひ一度、考えてみてほしいのです。
あなたが本当に生きたい人生は、
どんな人生ですか?
恋愛について考えていて、
あることに氣づきました。
わたしは昔、
恋愛を、
“人生を決める絶対的なもの”
のように
捉えていたんですね。
だから、
告白して振られたら終わり。
そんなふうに感じていました。
まるで、
“生きるか死ぬか”
くらいの重みを、
一回の告白に乗せていたんです。
でも今振り返ると、
そこには、
恋愛の履き違い
のようなものも
あった氣がします。
もちろん、
振られたら氣まずくなることは
あるかもしれません。
傷つくこともあると思います。
ですが、
それで人生が終わるわけではないんですよね。
世の中には、
何度も告白して、
何度も振られて、
それでも最後に結ばれた人たちもいます。
地球全体で見たら、
そういう人は、
きっと数えきれないほどいると思うんです。
そう考えると、
一回の告白に、
命をかけるように、
人生をかけるように、
思わなくてもいいのかもしれません。
でも、
これはきっと、
今の自分だからこそ、
見える景色でもある氣がしています。
過去のわたしにとって恋愛は、
「選ばれるかどうか」
が、
とても大きな意味を持っていました。
だから、
振られることは、
“自分の価値を否定されること”
のように感じていたんですね。
でも本当は、
恋愛は、
人生の合否ではなく、
人と人との関わりの一つ。
好きという氣持ちも、
「この人と関わってみたい」
という、
もっと自由で自然なものなのかもしれません。
そう思えるようになってきた時、
恋愛に対して、
少しだけ、
怖さが減った氣がしました。
そして今は、
“選ばれること”
よりも、
“自分の氣持ちに正直でいられること”
のほうが、
大事なのかもしれないなと思っています。^^
恋愛について考えていて、
あることに氣づきました。
それは、
「相手から告白してきてほしい」
という氣持ちの奥には、
“好き”
だけではなく、
「自分は傷つきたくない」
という思いも
隠れているのかもしれない、
ということです。
わたし自身、
恋愛について考えていた時、
「相手から言ってほしい」
「相手から来てほしい」
という氣持ちが、
とても強くありました。
でも、
よく見てみると、
そこには、
“自分はリスクを負いたくない”
という氣持ちも
あったんですよね。
もちろん、
これは悪いことではありません。
人は誰でも、
傷つくことが怖いものです。
拒絶されたくない。
恥ずかしい思いをしたくない。
好きな人に否定されたくない。
だからこそ、
「相手から来てくれたら安心」
なんですね。
でも、
そこにはもう一つ、
別のものも含まれている氣がしました。
それは、
「自分の理想の形で愛されたい」
という思いです。
例えば、
相手から告白してほしい
相手から追いかけてほしい
自分は選ばれる側でいたい
そんな願いですね。
一見すると、
待っている側は、
控えめで、
謙虚に見えるかもしれません。
ですがその奥には、
「こう動いてほしい」
「こう愛してほしい」
という、
強い希望があることもあります。
つまり、
表面的には受け身でも、
内側では、
相手を自分の理想の流れに
動かしたいと思っている部分も
あるのかもしれません。
だから、
わたしはふと、
「あれ?
これって少しコントロールにも
近いのかもしれない」
と思ったんですね。
もちろん、
だから悪い、
という話ではありません。
むしろ、
それだけ人は、
安心したいし、
傷つきたくないし、
愛されたいんだと思います。
でも、
本当に人と向き合う時というのは、
“相手には相手の自由がある”
ということも、
受け入れていく必要があります。
相手には、
相手のタイミングがあり、
感じ方があり、
選択があります。
だからこそ恋愛は、
思い通りに進めるものではなく、
お互いが自由な存在として
関わっていくものなのかもしれません。
恋愛は、
理想のシチュエーションを
叶えてもらうことではなく、
「この人と関わりたい」
という氣持ちを、
少し勇氣を出して差し出していくこと
なのかもしれません。
そう考えると、
好きな人に氣持ちを伝えるというのは、
相手を動かすためではなく、
“自分自身の心に正直になること”
でもあるのかもしれませんね。^^
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恋愛について見ていると、
「相手から告白してほしい」
そう思っている人が、
とても多いように感じます。
自分からは動かず、
相手から来るのを待つ。
もし行動するとしても、
“相手に言わせるための行動”
をする。
そんな形ですね。
わたし自身も、
いつの間にか、
「女性は男性から告白されるもの」
つまり、
“選ばれる側”
という考えを持っていた時期がありました。
だから、
どこかでずっと、
相手からの言葉を期待して、
待っていたんですね。
でも、
よく考えてみると、
子どもの頃のわたしは、
もう少し素直に行動していました。
中学生の頃、
人氣のある先輩がいて、
バレンタインデーの日に、
300円くらいのチョコレートを買って、
家まで渡しに行ったことがあります。
今思うと、
あれは告白だったのかもしれません。
でも、
実際には、
ちゃんと言葉にはできなかった氣もします。
返事も特になかったのですが、
それでも、
勇氣を出して行動できたことが、
すごく嬉しかったんですよね。
そして、
もう一つ思い出があります。
これは恋愛ではなかったのですが、
同じクラスに、
とても優しい男の子がいました。
なぜか、
その子にもバレンタインのチョコを
渡したいと思ったんですね。
ですが当時、
学校では、
「生徒同士でチョコを渡すのは禁止」
ということで、
先生による荷物検査がありました。
そこでわたしは、
どうやって突破しようか考えました。
そして、
プリントをたくさん挟む
バインダーの中に、
チョコレートを隠したんです。
ちょうど、
バインダーの半分くらいのサイズのチョコを買って、
プリントを折り重ねて、
見えないようにして。
ドキドキしながら検査を受けましたが、
無事に見つからず、
その子に渡すことができました。
今思い返すと、
まるで小さな作戦みたいですよね。笑
でも、
こうして振り返ると、
昔のほうが、
もっと素直に
「氣持ちを表現する」
ということをしていた気がします。
大人になるにつれて、
傷つきたくない。
恥ずかしい思いをしたくない。
拒絶されたくない。
そんな氣持ちが増えていって、
“待つ”
という姿勢になっていくことがあります。
でも本来、
恋愛は駆け引きではなく、
「あなたと関わりたい」
という氣持ちを、
素直に差し出すものなのかもしれません。
たとえ結果がどうだったとしても、
勇氣を出して行動した経験は、
ちゃんと自分の中に残ります。
そして、
その経験は、
自分自身を少し好きにさせてくれるものでも
あるのかもしれませんね。^^
恋愛について考えていると、
あることを感じます。
それは、
好きになってくれた相手に対して、
“誠実に向き合う人”
と、
“コントロールしようとする人”
の、
二種類の人がいるように感じることです。
特に女性は、
子どもを産み育てるという本能や、
母性的な性質もあって、
自然と、
「人の役に立ちたい」
「助けたい」
「支えたい」
という氣持ちが
強く働きやすいのかもしれません。
わたし自身も、
片思いをしていた時に、
そうした氣持ちになった経験があります。
好きな人には、
元氣でいてほしい。
支えになりたい。
力になりたい。
そんなふうに、
自然と思ってしまうんですよね。
ですが、
人によっては、
「この人は自分に好意がある」
とわかった瞬間から、
態度が変わることがあります。
誠実に向き合おうとする人もいます。
ですが一方で、
コントロールしようとする
軽く扱う
不安にさせる
わざと依存させる
そんな関わり方をする人もいます。
まるで、
“好きになられた側が上の立場”
になったような空氣ですね。
もちろん、
恋愛の中では、
余裕の差が生まれることもあります。
ですが、
相手の好意を利用して、
不安にさせたり、
駆け引きをしたり、
心を揺さぶることで
優位に立とうとするのは、
わたしは、
少し悲しいことのように感じます。
なぜなら、
それは、
“愛されること”
ではなく、
“相手の気持ちを利用すること”
に近くなってしまうことが
あるからです。
最近は、
恋愛についての情報を見ていても、
・追わせる
・依存させる
・不安にさせる
・駆け引きする
という方向のものを
よく見かけます。
ですが本来、
人と人との関係は、
“安心”
の上に育っていくものでもあると思うんですね。
もちろん、
恋愛にはドキドキもあります。
ですが、
本当に心を開ける関係というのは、
「この人の前では、
無理をしなくていい」
そう思える関係なのではないでしょうか。
また、
優しい人ほど、
“愛すること”
と、
“相手を背負うこと”
が、
混ざってしまうことがあります。
ですが本当の意味で対等な関係というのは、
どちらかが
助け続ける関係ではなく、
お互いが自分の足で立ちながら、
必要な時に支え合える関係なのかもしれません。
わたしは今、
恋愛そのものには
あまり興味がありません。
ですが、
恋愛を大切にしている人たちが、
駆け引きではなく、
安心できる関係の中で、
幸せになれる世界になるといいなと思っています。^^
恋愛における悩み。
特に片思いの時には、
よく起こることではないかと思います。
相手が不機嫌そうに見えた時、
「私が何か悪いことをしてしまったのかな…?」
そう考えてしまうことがあります。
また、
相手の生い立ちや悩みを聞いた時には、
「わたしが支えなくちゃ」
「なんとかしてあげなくちゃ」
そんな使命感を感じることもあります。
さらに、
相手の機嫌が良くないように感じると、
「察しなくちゃ…」
そんな思いが働くこともあります。
恋愛において、
こうしたことが起こる時。
そこには、
ある氣持ちが動いています。
それは、
「嫌われるのが怖い」
そして、
「相手の役に立つことが大事」
という思いです。
これは、
子どもの頃から、
「〇〇らしくしなさい」
「人を助けなさい」
と教えられてきたことから、
生まれている部分もあると思います。
もちろん、
こうした教えは大切なものです。
ですが、
ここには共通していることがあります。
それは、
“人の課題を背負うこと”
なんですね。
そもそも、
相手の機嫌は相手の問題です。
もし何か伝えたいことがあるなら、
本来は、
「察してほしい」
ではなく、
言葉で伝える必要があります。
ですから、
相手が不機嫌なまま、
こちらに察することを求めているとしたら、
それは、
少し思いやりが不足している状態とも
言えるかもしれません。
また、
相手の悩みや問題も、
本来は本人が向き合い、
乗り越えていくものです。
いくら好きな相手でも、
人の課題を引き受ける必要はありません。
むしろ、
それをしてしまうことで、
結果的に相手のためにならないことも多いのです。
本来、
恋愛とは開かれた関係性です。
「察する関係」になるのは、
パートナーとなり、
信頼関係が育ち、
阿吽の呼吸のようなものが
自然に生まれてきた時なんですね。
そして、
相手の課題を一緒に背負うとしても、
それは、
お互いが支え合い、
協力し合う関係になってから、
一緒に乗り越えていくものです。
そこに至るまでには、
誠実さと信頼関係が
丁寧に育まれています。
人を助けること、
やさしくすること、
人のためになること。
そう教えられて、
やさしく育ってきた人ほど、
「誰かの力になりたい」
という氣持ちは、
とても強くなります。
だからこそ、
好きになった人にはなおさら、
支えたい。
助けたい。
氣分良くいてほしい。
そんな思いが働くんですね。
ですが、
それを続けていると、
あなたは
“愛する人”ではなく、
“助ける人”
になってしまいます。
さらに、
恋愛対象というより、
“空氣のような存在”
になってしまうこともあります。
だからこそ、
恋愛をうまくいかせたいなら、
ただの“いい人”になりすぎないこと。
その代わりに、
“わたし”
という個性を表現すること。
そうすると、
他との違いが自然に見えてきます。
そして相手は、
あなた自身の魅力に惹かれていくのだと思います。^^
好みや夢は、変わるもの。
一生同じものとして、
固定されるとは限りません。
一時的に興味の対象が変わったり、
ある時から、ガラッと
まったく違うものに変わることもあります。
わたし自身も、
そういう時を経験してきました。
まず、自分にとっての
“宝物”が変わったこと。
そして、
食べ物の好みが
一時的に変わったこともありました。
こうした変化が起こると、
大切だったものほど、
自分の中で静かにショックを受けたりします。
「どうして今まで好きだったのに、
なんとも感じなくなったんだろう?」
「どうして色あせて見えるんだろう?」
そんなふうに、
不思議で、少しさみしく感じました。
もう一度好きになろうとしてみても、
氣持ちが入らないんですね。
そして一方で、
「もうそこには戻りたくないな」
と思っている自分もいたりするんです。
食べ物の好みが変わった時も、
嫌いになったわけではないけれど、
自然と食べなくなりました。
具体的には、酸っぱいものです。
でも、これは今また好きになっています。
もう一つは辛い物ですね。
今は、
“美味しいと感じる辛さ”
が好き、という感じです。
そして、
自分にとっての宝物も、
こんなふうに変化していきました。
シール・透明でキラキラしたもの
↓
服・アクセサリー
↓
本
という感じです。
この世界には、
変わらないものはないと言います。
常に変化し続けている、
ということですね。
変化していないように見えて、
実は変化しているものもあります。
反対に、
見た目は変化しているように見えても、
内側は変わらないものもあります。
“永遠”という言葉がありますが、
「変わらないものはない」
と思うと、
少し切ない感覚にもなります。
でも、
変化しながら、
その時の最善の形へと変わっていき、
核になるものは変わらない。
そういう“永遠”も
あるのかもしれません。
これは、
“愛のカタチ”
にも少し似ている気がします。
変化することで、
進化しながら永遠を保つ。
そんな変化も、
あるのだと思います。
先ほどの、
食べ物や宝物の話で言うと、
変わらなかったものもありました。
それは、
「おいしい」と感じること。
そして、
心がワクワクするもの。
そこは、
ずっと変わらなかったんですね。
好みや夢が変わっても、
永遠に変わらないものもある。
人は変化を怖がる生き物ですが、
こうした視点を持てると、
少し安心感や希望が見えてくる氣がします。

幸せの魔法使い☆まみ
性を通して本来の自分に還る
心・身体・性を整え、人生を再構築する
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