浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾27日目 「ネガティブに考えたから、嫌なことが起きた」は本当なのか?――原因は自分説について考える



「ネガティブに考えたから、嫌なことが起きた」は本当なのか?

――原因は自分説について考える

 

 

スピリチュアルな世界では、

ときどきこんな言葉を耳にします。

 

「ネガティブなことを考えていたから、波動が下がって嫌な出来事を引き寄せた」

 

「自分の波動に見合った出来事が現実に起きている」

 

以前の私は、

こうした考え方についていろいろ考えてきました。

 

けれど今、改めて考えてみると、

とてもシンプルなことに気づきました。


 

そもそも、その出来事を「ネガティブな出来事」と決めているのは誰なのだろう?

 

ということです。






 

出来事そのものと、私の評価は別のもの


 

何かが起きたとします。

 

その出来事に対して、

 

「嫌なことが起きた」

「最悪な出来事だった」

「いいことが起きた」

「ラッキーだった」

 

と感じることがあります。

 

でも、ここには「出来事」と「私の評価」という二つのものがあります。

 

出来事そのものに、最初から「ポジティブ」「ネガティブ」という札が貼られているわけではありません。

 

起きたことに対して、

 

私はこれが好き。

私はこれは嫌だ。

私にとってこれは嬉しい。

私にとってこれは困る。

 

そうやって、自分自身がその出来事を感じ、評価し、意味づけしています。

 

もちろん、だからといって「どんな出来事もポジティブに考えよう」という話ではありません。

 

嫌なものは嫌でいい。

 

悲しいものは悲しいし、腹が立つことだってあります。

 

大切なのは、

 

「ネガティブな出来事が存在した」ということと、

「私はその出来事をネガティブだと評価した」ということは、厳密には同じではない

 

ということです。

 

 

 

 

 

 

「ネガティブ思考がネガティブな出来事を引き寄せた」という説明


 

ここで、いわゆる「原因は自分説」に戻ります。

 

たとえば、

 

「最近ずっとネガティブなことを考えていた」

     ↓

「嫌だと感じる出来事が起きた」

     ↓

「ネガティブな思考によって波動が下がり、その波動に合ったネガティブな出来事を引き寄せた」

 

という説明です。

 

一見すると、きれいにつながっているように見えます。

 

でも、私は今、この二つを因果関係として結びつける必要はないと思っています。

 

ネガティブなことを考えていた。

 

そして、ある出来事が起きた。

 

私はその出来事を嫌だと感じ、「ネガティブな出来事」と評価した。

 

それだけかもしれないからです。

 

つまり、

 

「ネガティブ思考をしていたこと」と「その出来事が発生したこと」は、

別々の出来事として考えることができます。

 

たまたま同じ時期に存在していたからといって、前者が後者を生み出したとは限りません。

 

 

 

 

 

 

「波動によって引き寄せた」は科学的に証明されているのか

 

 

2026年8月現在、私がここでいう、

 

「ネガティブな思考をすると波動が下がり、その波動と同質の外部の出来事が物理的に引き寄せられる」

 

という仕組みが、科学的事実として確立されているとは確認できません。

 

これは大切なところだと思います。

 

「科学で証明されていない=絶対に存在しない」という意味ではありません。

 

科学がまだ説明できていないこともあります。

 

けれど同時に、

 

「科学で否定できない=本当に存在する」でもありません。

 

わからないことは、わからない。

 

確認できていないことは、確認できていない。

 

私は、それでいいと思っています。

 

だから私は、スピリチュアルな考え方を楽しむことと、それを「現実に起きた出来事の原因」と断定することは分けて考えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

「私が嫌だと思った」と「私が引き寄せた」はまったく違う


 

ここが、今回私が一番大切だと思ったところです。

 

何か嫌なことが起きたとき、

 

「私はこの出来事が嫌だ」

 

これは、自分自身の感覚です。

 

けれど、

 

「私がネガティブだったから、この出来事を引き寄せた」

 

となると、話が変わります。

 

これは自分の感覚ではなく、出来事がなぜ発生したのかという原因についての説明だからです。

 

私は雨が嫌いかもしれない。

 

でも、「雨を嫌だと思ったこと」と「雨が降った原因」は別です。

 

誰かの言葉に傷ついたとしても、「私はその言葉で傷ついたこと」と「その人がその言葉を発した原因」は別です。

 

この二つを混ぜなくてもいいのだと思います。






 

「原因は自分」ではなく、「評価しているのは自分」

 

 

そう考えていくと、私の中ではとてもシンプルになりました。

 

起きた出来事すべての原因が自分なのではなく、

その出来事を自分にとってどう感じ、どう評価するかは自分の内側にある。

 

「いいことが起きた」

 

「悪いことが起きた」

 

「今日は最悪だった」

 

「今日は最高だった」

 

私たちは普段、当たり前のようにこんな言葉を使います。

 

けれど、より丁寧に見れば、

 

「私にとって嬉しい出来事が起きた」

 

「私はこの出来事を嫌だと感じた」

 

「今日起きたことを、私はとても辛いと感じている」

 

ということなのかもしれません。

 

そこには、自分自身の価値観や好み、大切にしているもの、期待、過去の経験などが反映されています。

 

だからこそ、同じ出来事でも人によって感じ方が違うのでしょう。






 

自分の責任ではない。でも、自分の感覚は大切にする


 

私は、この考え方のほうが自分にとって自然です。

 

何か嫌なことが起きたとき、

 

「私がネガティブだったからだ」

 

「私の波動が低かったからだ」

 

「私がこの現実を引き寄せたんだ」

 

と、すべてを自分の責任にしなくてもいい。

 

ただ、

 

「私は、この出来事を嫌だと感じている」

 

それは大切にしていい。

 

出来事を起こした責任を自分に背負わせることと、自分が感じていることを自分のものとして受け止めることは、まったく別のことです。

 

むしろ私は、この二つを分けることで、自分自身の感覚が以前よりはっきり見えてくるように思います。

 

世界で起きるすべてのことを、自分の内側の状態と結びつけなくてもいい。

 

世界には、自分とは関係なく動いていることがたくさんあります。

 

その中でさまざまな出来事に出会い、

 

私はどう感じるのか。

私はどう受け止めるのか。

私はどうしたいのか。

 

そこに、自分自身の領域がある。

 

「すべての原因は自分」なのではなく、

「起きたことをどう感じているのかを知っているのは自分」。

 

今の私は、そのくらいの距離感で世界と自分を見ていたいと思っています。





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