浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾28日目 「原因は自分」を手放しても、人生は自分で選べる

「原因は自分」を手放しても、人生は自分で選べる
「ネガティブなことを考えていたから、ネガティブな出来事を引き寄せた」
スピリチュアルな世界では、ときどきそんな言葉を耳にします。
以前の私も、こうした考え方についていろいろ考えてきました。
けれど今、改めて考えてみると、とてもシンプルなことに気づきました。
そもそも、その出来事を「ネガティブな出来事」と決めているのは誰なのだろう?
ということです。
出来事そのものと、私の評価は別のもの
何かが起きたとします。
その出来事に対して、
「嫌なことが起きた」
「最悪な出来事だった」
「いいことが起きた」
「ラッキーだった」
と私たちは表現します。
でも、ここには「出来事」と「私の評価」という二つのものがあります。
出来事そのものに、最初から「ポジティブ」「ネガティブ」という札が貼られているわけではありません。
私はこれが好き。
私はこれは嫌だ。
私にとってこれは嬉しい。
私にとってこれは困る。
そうやって、自分自身がその出来事を感じ、評価し、意味づけしています。
もちろん、だからといって「どんな出来事もポジティブに考えよう」という話ではありません。
嫌なものは嫌でいい。
悲しいものは悲しいし、腹が立つことだってあります。
大切なのは、
「ネガティブな出来事が存在した」ということと、
「私はその出来事をネガティブだと評価した」ということは、厳密には同じではない
ということです。
「ネガティブ思考がネガティブな出来事を引き寄せた」という物語
たとえば、
「最近ずっとネガティブなことを考えていた」
その後、
「自分にとって嫌だと感じる出来事が起きた」
とします。
すると、
「ネガティブなことを考えていたから波動が下がり、その波動に合った出来事を引き寄せた」
と説明することもできます。
でも、確実に起きたことだけを取り出してみれば、
「ネガティブなことを考えていた」
「その後、ある出来事が起きた」
「私はその出来事を嫌だと感じた」
ということでもあります。
前に起きたことと、後に起きたこと。
この二つが時間的につながっているからといって、前者が後者を発生させたとは限りません。
そもそも「時間」って何だろう?
私たちは普段、時間を過去から現在、そして未来へと続いていく一本の流れのように感じています。
だから、その中で起きた出来事についても、
「あのあとに、これが起きた」
「こう考えていたときに、こんなことが起きた」
というように、前後の出来事を自然につなげて考えます。
でも、
前に起きたことと後に起きたことがつながって見えることと、
前の出来事が後の出来事を起こしたことは同じではありません。
私たちは時間の中で起きたさまざまな出来事をつなぎ合わせながら、自分なりの「物語」として理解していることがあります。
だから、ときにはその物語を少しほどいて、
「これは本当に原因と結果なのかな?」
「ただ前と後に起きただけなのかな?」
と見てみてもいいのだと思います。
すべてを一本につなげなくてもいい。
そう考えるだけでも、過去に今の原因を探し続けることから、少し自由になれるような気がします。
原因は自分にしなくても、人生は自分で選べる
では、「すべての原因は自分ではない」と考えたら、人生の主体性まで失われてしまうのでしょうか。
私は、むしろ逆なのではないかと思います。
何かが起きた。
それを私はどう感じるのか。
そして、ここからどうするのか。
Aを選ぶのか。
Bを選ぶのか。
何も選ばず、しばらく立ち止まるのか。
それは今の自分が決めることができます。
そして一つ選択すれば、その行動によって、その後に起こりうることも変わっていきます。
もちろん、選んだからといって、すべてが思い通りになるわけではありません。
自分以外の人も生きています。
社会も動いています。
自然もあります。
偶然もあります。
自分にはコントロールできないことが、世界にはたくさんあります。
だからこそ、
「世界のすべてを私が作っている」必要なんてないのです。
過去の自分を原因にしなくてもいい
「今こんなことが起きているのは、過去の私の思考が悪かったから」
「私の波動が低かったから」
「私がこの現実を引き寄せたから」
そうやって、今起きていることの原因を、いつも過去の自分の中から探さなくてもいいのだと思います。
今起きていることは、さまざまな要因が重なって起きているのかもしれない。
あるいは、私には原因が分からないことだってある。
分からないものは、分からないままでいい。
それでも私は、今ここからどうするのかを選ぶことができます。
過去の自分に今の責任を背負わせなくても、今の自分の人生を生きることはできるのです。
「ネガティブになってはいけない」という新しい苦しさ
そして、「ネガティブな思考がネガティブな出来事を引き寄せる」と考えると、もう一つの問題が生まれます。
「だったら、ネガティブなことを考えないようにしよう」
「嫌なことを引き寄せないように、ポジティブでいよう」
と思うようになることです。
実際、以前の私もそうでした。
嫌な出来事を引き寄せたくない。
嬉しいことが起きてほしい。
だったら、なるべくポジティブでいよう。
一見すると、自分を幸せにするための考え方に見えます。
でも、それがいつの間にか、
不安になってはいけない。
怒ってはいけない。
悪いことを考えてはいけない。
落ち込んではいけない。
という、自分の内側への監視に変わってしまうことがあります。
ネガティブなことを考えるのも、人間として自然なこと
そもそも人間には、危険を察知し、自分の身を守るための仕組みがあります。
「大丈夫かな?」
「危険はないかな?」
「こんなことになったらどうしよう」
未来について心配したり、良くない可能性を考えたりすること自体は、人間として不自然なことではありません。
不安も恐れも、ときには私たちを守るために働きます。
だから、
不安を感じたというだけで、自分の状態が悪いことにはならない。
ネガティブなことを考えたからといって、自分を修正しなければならないわけでもありません。
嬉しいことを考えてもいい。
怖いことを考えてもいい。
希望を持ってもいい。
不安になってもいい。
人間なのだから、いろんなことを考えていい。
「ポジティブでいなければ」は、自分への抑圧になることもある
本当は怖い。
本当は悲しい。
本当は腹が立っている。
それなのに、
「こんなことを考えたら、悪いものを引き寄せてしまう」
と思って、その感情や思考を押し込める。
それでは、自分を幸せにするために始めたはずの考え方によって、自分自身の自由を奪ってしまいます。
私は、それは自分自身への抑圧になってしまうことがあると思います。
少し強い言葉を使うなら、
自分を守ろうとして、自分で自分をいじめてしまう。
そんな状態にもなり得るのではないでしょうか。
不安になった自分を直すより、自分を知っていく
不安を感じたとき、
「こんなことを考えちゃダメ」
と消そうとするのではなく、
「私は、どうして不安なんだろう?」
と自分に聞いてみる。
すると、
傷つくことが怖かった。
失敗したくなかった。
大切なものを失いたくなかった。
安心したかった。
本当はこうしたかった。
そんな自分自身の気持ちが見えてくることがあります。
だから私は、ネガティブな思考をなくすことよりも、
「今、自分は何を感じ、何を考えているんだろう?」
と、自分自身を知っていくことのほうを大切にしたいと思っています。
思考は、ただの「思考」でもいい
私たちは普段、
「ポジティブ思考」
「ネガティブ思考」
という言葉を使います。
もちろん、物事を理解したり、人に伝えたりするためには便利な言葉です。
でも私は、それも人間が理解しやすいように分類し、名前をつけたものだと捉えています。
思考は、思考。
最初から「いい思考」「悪い思考」という札が貼られているわけではありません。
「ああ、今私はこんなことを考えているんだな」
それだけでもいい。
そう考えると、自分の中に浮かんだ思考と戦わなくてもよくなります。
過去の自分を責めず、今の自分を抑圧せず、ここから選ぶ
私は今、この三つがとても大切なのではないかと思っています。
過去の自分を、今起きていることの原因にして責めない。
今の自分に、「ポジティブでいなさい」と命令して抑圧しない。
そして、
今ここから、自分がどうしたいのかを選ぶ。
世界で起きるすべてのことを、自分が引き寄せたことにしなくてもいい。
自分の思考を完璧に管理しなくてもいい。
それでも、人生の主体性は失われません。
何を考えてもいい。
何を感じてもいい。
そして、その自分と一緒に、
「じゃあ、私はここからどうしたい?」
と考えればいい。
過去の自分が今を引き寄せたのではなく、
今の私は、ここから何を選ぼう?
私にとっては、こちらのほうがずっと自由です。
世界のすべての原因にならなくても、私は私の人生を生きることができる。
すべてをコントロールできなくても、そのとき、そのときの自分と一緒に選んでいくことはできる。
人生とは、過去の自分が作ってしまった現実を背負い続けることではなく、
今ここから、何度でも自分の足で歩いていけるもの。
そんなふうに考えると、