浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾33日目 嫉妬は、誰かの輝きに心が動いた瞬間なのかもしれない

嫉妬は、誰かの輝きに心が動いた瞬間なのかもしれない
最近、ふと「嫉妬」について考えることがありました。
恋愛関係の中で生まれる嫉妬もあれば、同性同士で感じる嫉妬もある。
自分より才能があるように見える人、活躍している人、魅力的に見える人を見て、
「いいな」
「羨ましいな」
と感じることもあります。
嫉妬というと、あまり良くない感情のように扱われることがあります。
でも私は最近、嫉妬ってもう少し違う見方もできるんじゃないかなと思うようになりました。
私たちは、その人の一部分しか見ていない
昔、私は誰かに嫉妬したことがありました。
その人が持っている才能か何かを見て、「いいな、羨ましいな」と感じていたのだと思います。
ところが、その人と話す機会があって、それまで歩んできた人生について本人から聞いたことがありました。
表からは見えなかったけれど、いろいろな苦労があったこと。
失敗したこと。
そこからまた進んできたこと。
そういう話を知ったとき、私は少し恥ずかしくなりました。
「私は何も知らないで嫉妬していたんだな」と。
今となっては、それが誰だったのか、何に嫉妬していたのかさえ忘れてしまいました。
でも、そのとき感じたことだけは残っています。
考えてみれば、私たちが誰かを見て羨ましいと思うとき、その人の人生すべてを知っているわけではありません。
今、目の前に見えている「輝いている部分」を見ているだけかもしれないのです。
その場所にたどり着くまで、どんな時間を過ごしてきたのか。
何度失敗したのか。
何に悩み、何を諦め、それでも何を続けてきたのか。
そんなことは、外から見ているだけではわかりません。
だからといって、知らずに嫉妬した自分を恥ずかしく思う必要もなかったのだと、今は思います。
知らなかったのだから仕方がない。
そして嫉妬すること自体も、人間の自然な心の動きの一つなのだと思います。
誰かの輝きは、ときに「いいショック」になる
もう一つ思ったことがあります。
誰かがものすごく輝いて見えた瞬間って、ちょっとした衝撃がありませんか?
「えっ、こんなことができるんだ」
「こんな一面があったんだ」
「すごい!」
予想していなかったものを見せられて、一瞬圧倒される。
私はこれを、ある意味で「いいショック」なのではないかと思います。
その人が積み重ねてきたものが、表現や作品、仕事、活動などを通してパッと表に現れた瞬間。
それを受け取った側の心が大きく揺さぶられる。
その最初の衝撃は、もしかすると純粋な感動なのかもしれません。
ところが、その次の瞬間、
「いいな」
「羨ましい」
「この人にはあるのに、私にはない」
という気持ちが出てくる。
そこで感動が、羨望や嫉妬へと枝分かれしていくこともあるのかもしれません。
「この人にはある。私にはない」
嫉妬が生まれたとき、そこには、
「この人は、自分にないものを持っている」
という感覚があるのかもしれません。
でも、そんなとき私は、
「私はこの人の何を見て、嫉妬しているんだろう?」
と考えてみるようになりました。
才能なのか。
評価されていることなのか。
自由に表現している姿なのか。
自信を持っているように見えることなのか。
好きなことを思い切りやっている姿なのか。
そこを見ていくと、意外な自分が見えてくることがあります。
たとえば、素晴らしいダンサーを見て、ものすごく羨ましくなったとします。
でも、
「じゃあ私は、この人のようなダンサーになりたいの?」
と自分に聞いてみたら、
「いや、それは別にやりたくない」
となるかもしれません。
それでも、なぜか目が離せない。
だったら、本当に心を動かされたものは「ダンス」ではないのかもしれません。
堂々と自分を表現している姿かもしれない。
好きなことに夢中になっている姿かもしれない。
人目を気にせず、自分の世界を表現している自由さかもしれない。
嫉妬の奥を見ていくと、
「私、本当はこういうものに惹かれるんだ」
という、自分でも気づかなかった願いや価値観が見えてくることがあります。
羨ましい。でも、私はそれをやりたい?
最近の私は、人を見て「すごいな」と思っても、その次の瞬間には、
「それはそれ」
と切り替わることが多くなりました。
なぜなら、その人と私は違うからです。
経験してきたことも違う。
外見も違う。
性格も違う。
価値観も、考え方も、望んでいる人生も違う。
同じことに興味を持っていたとしても、人生そのものを比べることはできません。
一人ひとりに物差しがあるとしても、その物差しそのものが違う。
だから、そもそも重ならないのです。
誰かを見て、
「すごいな」
「羨ましいな」
と思ったとしても、
「じゃあ、私はそれをしたい?」
と聞いてみる。
すると意外と、
「いや、私はやりたくないな」
ということもあります。
それなら、その人はその人。
私は私。
「あなた、すごいね」
それだけで終わってもいいのです。
嫉妬は、自分を知る入口にもなる
嫉妬を感じたからといって、必ず深く分析する必要もないと思います。
「あ、今ちょっと羨ましいと思ったな」
それだけで通り過ぎてもいい。
でも、どうしても気になる。
なぜか目が離せない。
何度もその人のことを考えてしまう。
そんなときには、
「私は、この人の何にこんなに心を動かされているんだろう?」
と自分に聞いてみるのも面白いと思います。
そして、もう一つ。
「この人にはあるけれど、私にはない」
と思ったその何かは、本当に自分にはないのでしょうか。
まだ表に出していないだけかもしれない。
まだやったことがないだけかもしれない。
その人とは違う形で、すでに自分の中にあるのかもしれない。
誰かの輝きに心を大きく動かされた瞬間。
それは、その人について何かを感じた瞬間であると同時に、
まだ自分でも知らなかった自分自身に出会った瞬間
なのかもしれません。
そう考えると、嫉妬もそれほど悪いものには見えなくなります。
誰かの輝きを見て、心が「うわっ」と動いた。
その心の動きから、
「私は何に惹かれたんだろう?」
と自分の方へ戻ってみる。
そして、自分も本当に望んでいることなら、自分なりの形でやってみればいい。
望んでいないなら、
「素敵だな。すごいな」
と、その人の輝きをその人のものとして眺めればいい。
誰かの人生を自分の物差しにする必要もないし、自分の人生を誰かの物差しで測る必要もない。
その人には、その人の物差しがある。
私には、私の物差しがある。
だからこそ誰かの輝きは、自分を小さくするものではなく、
「こんな輝き方もあるんだ」
と世界を少し広げてくれるものなのかもしれません。