浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾39日目 「ちゃんとできるようになってから」を待たなくていい

「ちゃんとできるようになってから」を待たなくていい
前回、自分を知ることと、自分を固定することは違う、ということについて書きました。
「私は三日坊主だから」
「私は飽き性だから」
「今までやったことがないから」
過去の出来事から自分にラベルを貼り、そのラベルで未来の自分まで決めなくていい。
今、
「面白そう」
「やってみたい」
と思ったなら、とりあえずやってみてもいい。
そんなことを考えていました。
すると、また一つ、自分の中にあるものに気づきました。
私はどうやら、
「人前でやるなら、ちゃんとできるようになってから」
と思っているところがあるようなのです。
「面白そう」のあとに、審査が始まる
たとえば何かを見て、
「これ面白そう!」
と思う。
「ライブでちょっとやってみようかな」
「このテーマで動画を撮ってみようかな」
そんな気持ちがふっと湧いてくる。
でも、その直後、
「でも、この世界にはプロの人がいるし……」
「詳しい人から見たら、ど素人がやっていると思われるんじゃないかな」
「ダメ出しされたらどうしよう」
「もう少しちゃんとできるようになってからのほうがいいかな」
という考えが出てくることがあります。
せっかく、
「面白そう!」
と小さな火がついたのに、自分で審査を始めてしまうのです。
そして審査に合格するまで、始めることを許可しない。
でも、考えてみたら不思議です。
私はいつから、
何かを楽しむために、プロになる必要がある
と思うようになったのでしょう。
専門家として教えることと、初心者としてやってみることは違う
もちろん、専門性が必要な領域はあります。
医療や法律、安全に関わること、資格が必要なことなどを、十分な知識もなく専門家のように扱っていいという話ではありません。
また、誰かに何かを「教える」「指導する」となれば、その内容に応じた知識や責任も必要でしょう。
でも、
興味を持った一人の人として、自分でやってみること
とは別です。
たとえばASMRを見て、
「なんか面白そう。私もやってみたい」
と思った。
だったら、
「初めてだけど、ちょっとやってみました」
でもいい。
それは、
「私はASMRの専門家です」
と言っているわけではありません。
ただ、
面白そうだから、やってみた人。
それでいいんですよね。
「素人」は現在地であって、禁止札ではない
私はここで、自分に「素人」というラベルを貼っていたことにも気づきました。
「私は素人だから」
そして、その後に無意識に、
「人前でやってはいけない」
「動画にしてはいけない」
「もっと上手になってからでなければ」
という意味までつけていた。
でも、
「やったことがない」
ということと、
「やってはいけない」
は全然違います。
「この分野について、今の私はほとんど経験がない」
なら、それはただの現在地です。
前回の記事で、
「3日でやめた」は出来事。
「私は三日坊主」は人格のラベル。
と書きました。
それと同じです。
「まだ経験がない」は事実。
でも、
「だから私は人前でやってはいけない」
は、自分で作ったルールです。
だったら、
「やったことない。じゃあ、初めてやってみよう」
でもいいのです。
プロを、自分の参加資格を決める審査員にしなくていい
「この世界のプロから見たら、どう思われるだろう」
そんなことを考えることもあります。
でも実際にその人がどう思うのかは、確認できません。
「初心者なのに」と思う人もいるかもしれない。
「楽しそうでいいね」と思う人もいるかもしれない。
何とも思わないかもしれない。
そもそも、見ないかもしれない。
分からないことです。
それなのに、頭の中でその人を審査員にして、
「この人からOKをもらえるくらいにならないと、私はやってはいけない」
というルールを作ってしまったら、自分の世界がどんどん狭くなってしまいます。
プロは、その世界について多くの経験を積んできた人。
でも、
その人が上手だからといって、私が初心者として楽しむ権利が減るわけではありません。
ここでも、以前書いた言葉につながります。
刺激や感動は持って帰る。
でも、順位表は持って帰らない。
「あの人、すごいな!」
それでいい。
「だから私はやってはいけない」
まで持って帰らなくていいのです。
「ちゃんとできるようになってから」では、いつまでも始まらないことがある
そして、ここでもう一つ気づきました。
「ちゃんとできるようになってから始めよう」
という言葉には、少し不思議なところがあります。
なぜなら、
やらなければ、できるようにならないからです。
最初は分からない。
やってみる。
「あれ?」
となる。
またやってみる。
「こうするといいのかな」
と気づく。
もう一度やってみる。
「私はこういうやり方が好きだな」
と分かってくる。
そうやって少しずつ、自分なりのものができていく。
だから、
「ちゃんとできる私になってから、やる」
ではなく、
「やりながら、できるようになっていく」
でもいいのだと思います。
そして、別にできる人にまでならなくてもいい。
3回やって、
「楽しかった! もう満足!」
でもいい。
「これさえ学べば、自信がつく」の繰り返し
このことを考えていて、私は気功やヒーリングを学んできた中でのことを思い出しました。
学んでいると、
「これを学べば、もっとちゃんとできるようになるかもしれない」
「これさえ身につければ、自信がつくかもしれない」
と思うことがあります。
そして学ぶ。
知識や技術が増える。
でも、しばらくすると、
「私はまだまだだ」
と思う。
そして、
「もう少し学んでから」
と、また新しいことを学ぶ。
もちろん、学ぶことそのものは素晴らしいことです。
知識を増やすことにも、技術を磨くことにも価値があります。
でも、
「十分な自信がつくまで実践しない」
という条件をつけると、いつまでもスタート地点が先へ動いていくことがあります。
学べば学ぶほど、知らないことが見えてくることだってあるからです。
「全部分かってから」
「十分できるようになってから」
を待っていたら、その日はなかなか来ないのかもしれません。
実践そのものが、学びになる
練習で身につくことは、たくさんあります。
でも、実際の場に出なければ分からないこともあります。
予想していなかった反応が返ってくる。
思ったように進まない。
いつもの方法が通用しない。
その場で考える必要が出てくる。
そして、
「あれ?」
となる。
考える。
工夫する。
もう一度やってみる。
少し分かる。
また新しい疑問が出る。
こういう経験は、実践の中だからこそ得られるものです。
だから学びは、
学ぶ → 完成する → 実践する
という一直線だけではなく、
学ぶ → やってみる → 分からないことが出る → 学ぶ → またやってみる
という往復でもいいのだと思います。
すると「学ぶ」の意味まで変わります。
「今の自分では足りないから学ばなければ」
ではなく、
「やってみたら、もっと知りたいことが出てきた」
になる。
私は、こちらの学び方もとても好きです。
自信がついてからやる、だけではない
そして、ここで「自己信頼」の話にもつながりました。
自信というと、
「私はちゃんとできる」
「きっとうまくいく」
と思えることを想像しやすいかもしれません。
でも、もう一つの自信があるのだと思います。
それは、
「うまくいくかは分からない。でも、どちらになっても私は大丈夫」
という感覚です。
うまくいった。
「やった!」
それでいい。
うまくいかなかった。
「なるほど。ここが分かった」
それもいい。
間違えた。
「じゃあ、次はこうしてみよう」
思った以上にグダグダになった。
「初めてだし、こんなこともある(笑)」
そしてまた考える。
これは、
「失敗しない自分への自信」ではなく、「何かあってもまた考えて進んでいける自分への信頼」
なのだと思います。
うまくいかなかった経験も、次の一つのピースになる
何かをやって、うまくいかなかった。
以前なら、
「失敗した」
という一言で終わらせていたかもしれません。
でも今は、
次にうまくいくための一つのピースが増えた
とも考えられると思っています。
「あの方法ではうまくいかなかった」
ということが分かった。
「ここでは緊張するんだ」
と分かった。
「この準備が必要だったんだ」
と分かった。
「私はこういうやり方のほうが好きなんだ」
と分かった。
全部、実際にやったから分かったことです。
だから、
うまくできた経験だけが価値のある経験なのではありません。
うまくいかなかった経験も、自分の中に残る大切な一つのピースです。
「ちゃんとしなければ」も、自分を固定する言葉だった
ここまで考えて、もう一つ気づきました。
「やるからには、ちゃんとしなければ」
「失敗してはいけない」
「間違ってはいけない」
「完璧にやらなければ」
こういう言葉も、自分を固定することにつながっているのかもしれません。
以前の記事で、
「私は優しい人だから、怒ってはいけない」
という例を書きました。
これと似ています。
「私は優しい」
で終わればいい。
優しい私だって、怒ることはあります。
同じように、
「私はこれをやってみたい」
で終わってもいい。
やってみたい私だって、失敗することはあります。
最初から上手にできないこともあります。
間違えることだってあります。
それなのに、
「やるなら、うまくできる私でなければならない」
という条件をつけると、まだ何もしていない自分を、先に一つの型へ入れてしまいます。
「うまくできる自分」だけをOKにしない
自己信頼とは、
「私は絶対失敗しない」
と信じることではないのだと思います。
だって、失敗することはあります。
間違えることもあります。
分からなくなることもあります。
それでも、
「そのときは、そのときの私と一緒に考えよう」
と思える。
それも自己信頼なのではないでしょうか。
成功する私だけを信頼するのではなく、
失敗するかもしれない私も、
戸惑う私も、
分からなくなる私も含めて、
「それでも私は大丈夫」
と思える。
そうすると、失敗の可能性があっても動けます。
「絶対成功するからやる」
ではなく、
「どうなるか分からないけれど、やってみよう」
ができるようになります。
「失敗してもいい」は、雑にやるという意味ではない
ここは大切にしたいところです。
「失敗してもいい」
というのは、
「適当にやればいい」
ということではありません。
必要な準備をする。
自分なりに丁寧にやる。
人に関わることなら、必要な責任を持つ。
専門性が必要なところでは、その境界を守る。
そのうえで、
結果まで完璧に支配しようとしない。
丁寧に取り組むことと、
完璧でなければならないことは違います。
私は、自分なりに大切にやった。
その結果、うまくいかなかった。
なら、そこからまた考えればいい。
それで十分なのだと思います。
「まだこんな自分がいた」も、また一つの自己理解
そして今回、
「まだ私の中に、こんな『ちゃんとしなきゃ』があったんだ」
とも思いました。
でも、ここでもまた同じことです。
「私は完璧主義な人なんだ」
と、新しいラベルを貼らなくてもいい。
ただ、
「こういう場面では、私は『ちゃんとしなきゃ』と思うことがあるんだな」
と知ればいい。
それも一つの自己理解です。
また同じものが出てきたら、
「あ、また出てきた」
と気づけばいい。
それを追い出す必要もない。
「こんな考えがまだあるなんて、私はダメ」
とする必要もない。
ここでも、
自分を知る。でも、自分を固定しない。
なんですよね。
「面白そう」から始めていい
結局、また最初のところへ戻ってきます。
「これ、面白そう」
と思った。
だったら、やってみる。
うまくいったら嬉しい。
うまくいかなかったら、何か一つ分かる。
思っていたのと違ったら、やめてもいい。
すごく好きになったら、もっとやればいい。
そしてもっと知りたくなったら、そのとき学べばいい。
始める前から、
「これは将来何になる?」
「仕事になる?」
「プロになれる?」
「続けられる?」
「ちゃんとできる?」
と、未来の自分を審査しなくてもいい。
今日の私は、これを面白がってみたい。
それだけで始めてもいい。
自分を固定しないということは、体験の結末も固定しないこと
今回、私にとって新しく見えてきたのはここでした。
自分を固定しないというのは、
「私は○○な人」
と人格を決めつけないことだけではない。
「こういう結果にならなければならない」
と、これから起こる体験の結末まで固定しないことでもあるのだと思います。
成功してもいい。
失敗してもいい。
続いてもいい。
やめてもいい。
夢中になってもいい。
「なんだこりゃ(笑)」で終わってもいい。
結果を決めてから人生を体験するのではなく、
体験してから、自分が何を感じるのかを知る。
そのほうが、私は面白いと思います。
自己信頼とは、「何があっても自分と一緒にいられること」なのかもしれない
ここまで考えて、私にとっての自己信頼というものが、また少し見えてきたように思います。
「私は必ず正しくできる」
でもない。
「私は絶対に失敗しない」
でもない。
「私はいつでも自信がある」
でもない。
うまくいくこともある。
うまくいかないこともある。
間違えることもある。
不安になることもある。
途中で考えが変わることもある。
それでも、
そのときの自分と一緒に考えて、また次を選んでいける。
それを信じられること。
もしかすると、それが私にとっての自己信頼なのかもしれません。
失敗しないから、自分を信じられるのではない。
失敗した自分とも一緒にいられるから、やってみることができる。
だから、新しいものに手を伸ばせる。
だから、「面白そう」を追いかけられる。
だから、まだ知らない自分に出会える。
結局、また自分のところへ戻ってきた
嫉妬について考えるところから始まった今回の一連の話。
人と比べること。
外側からの評価。
自己価値。
年齢や性別、肩書きというカテゴリー。
「私は○○な人」という自己イメージ。
三日坊主。
何者かにならなくてもいいということ。
そして、
「ちゃんとできるようになってから」
「失敗してはいけない」
という思い。
一見すると、どんどん違う話へ進んでいるように見えました。
でも振り返ると、全部が同じところにつながっているように感じます。
外側の物差しで、自分を決めない。
過去の自分で、今の自分を決めない。
結果によって、自分の価値を決めない。
そして、
そのとき、そのときの自分と一緒に生きていく。
うまくできてもいい。
うまくできなくてもいい。
笑ってもいい。
怒ってもいい。
不安になってもいい。
夢中になってもいい。
飽きてもいい。
やってみて、
「違った!」
でもいい。
その全部を体験しながら、
「じゃあ、今の私はどうしたい?」
とまた自分に戻ってくる。
人生を完璧に進めることより、
その都度、自分とつながりながら次を選んでいくこと。
それができるなら、失敗することも、間違えることも、もう人生から排除しなくていいのかもしれません。
失敗しない人生より、
失敗しても、自分を置いていかない人生。
私は、そんなふうに自分と一緒に歩いていきたいと思います。