浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾51日目 夢の時計は、ときどき大きく跳ぶ ― 夢の射程圏に突然入る瞬間

前回、
「夢に向かう時計は、自動ではなく手動なのかもしれない」
ということを書きました。
普通の時計は、私たちが何もしなくても進んでいきます。
でも、夢に向かう時計は少し違う。
自分が夢の方向へ1ミリ動いてみる。
すると、夢の時計も1ミリ進む。
今日は動きたくないと思ったら、動かさなくてもいい。
1ミリのつもりで始めたのに楽しくなってきたら、そのまま10ミリ、15ミリ進んでもいい。
そんなふうに、自分の手で動かしていく時計です。
でも、この夢の時計について考えていたら、もう一つ面白い特徴があることに気がつきました。
それは、
「この時計は、一定の速度で進むわけではない」
ということです。
夢までの距離は、計算式では測れない
普通の時計なら、
1秒の次は1秒。
その次も1秒。
同じ速さで時間を刻んでいきます。
でも、夢に向かう時計は、そんなに規則正しくありません。
今日1ミリ。
明日も1ミリ。
また別の日に1ミリ。
そんなふうに少しずつ動かしていたのに、
ある日突然、
「えっ?」
と思うようなことが起こることがあります。
思いがけない人とのご縁ができる。
誰かから声をかけてもらう。
たまたま必要な情報に出会う。
嬉しい出来事が起こる。
思いもしなかったところから機会がやってくる。
そして、それまでずっと遠くにあったように感じていた夢が、
突然、
「もしかしたら、これ本当に実現するかもしれない」
というところまで近づくことがあります。
私はこの瞬間を、
「夢の射程圏に突然入る瞬間」
と表現すると、とてもしっくりきます。
1ミリ、1ミリ、1ミリ……そして突然、大きく跳ぶ
夢までの道のりは、
1+1=2
2+2=4
というような、きれいな計算式ではないのだと思います。
1ミリ進んだから、明日も必ず1ミリ。
100日続けたから、必ず100ミリ。
そんな単純なものではありません。
1ミリ。
1ミリ。
また1ミリ。
しばらく何も変わっていないように感じる。
ところがある日突然、
ポンッ。
と針が大きく跳ぶ。
10ミリどころではなく、一気に夢のすぐ近くまで進んでしまうことだってあるかもしれません。
なんだか、
「いつ開くのかわからない、タイマー付きのびっくり箱」
みたいです。
ただし、そのタイマーがいつ鳴るのかはわかりません。
明日かもしれない。
一年後かもしれない。
そもそも、思い描いていた形では鳴らないかもしれない。
ここは誰にもわかりません。
だから、
「1ミリずつ進めば、○日後には必ず夢が叶います」
とは言えません。
夢は、そんなに計算通りには進まないものなのだと思います。
ある日突然、「あと一手」のところまで来る
このことを考えていたとき、私は将棋の「王手」を連想しました。
もちろん、夢は勝ち負けではありません。
誰かと競争しているわけでもありません。
ただ感覚として、
ずっと遠くにあると思っていたものが、ある出来事によって突然、
「あと一手」
というところまで来ることがある。
昨日までは「いつか叶ったらいいな」だったものが、
突然、現実味を帯びてくる。
夢が、自分の手の届くところに入ってくる。
それが私にとって、
「夢の射程圏に入る」
という感覚です。
そして、そのきっかけは自分には予測できないことがあります。
だから面白いのです。
手動だけれど、全部を自力で動かす時計ではない
ここで、もう一つ大切なことに気づきました。
夢の時計は「手動」だけれど、
「すべてを自分一人の力で動かさなければならない時計」
ではないということです。
自分にできることは、
今日、動かしたいと思ったら1ミリ動かしてみること。
発信してみる。
調べてみる。
練習してみる。
作ってみる。
誰かに伝えてみる。
小さくてもいいから、現実の世界の中で何かを動かしてみる。
そこまでは自分の手でできます。
でも、その先で誰と出会うのか。
誰が自分の発信を見るのか。
どんな出来事につながるのか。
どこから思いがけない機会がやってくるのか。
そこまですべてを自分で設計することはできません。
だから、
自分で動かした1ミリと、
自分には予測できなかった何かが出会ったとき、
夢の時計の針が突然大きく跳ぶことがある。
そう考えると、
「夢を叶えるためには、全部自分でなんとかしなければ」
と思わなくてもいいのかもしれません。
自分の担当は、
今日の自分にできる1ミリ。
その1ミリを、自分がやってみたいと思える範囲で動かしてみる。
その先に何が起こるのかは、まだわかりません。
だからこそ、ちょっと楽しみでもあります。
もし、そこで夢が叶わなかったとしても
そして、ここも私は大切にしておきたいと思っています。
夢の射程圏まで来た。
「あと一手かもしれない」と思うところまで来た。
でも、結果として、その夢は思い描いていた形では叶わなかった。
そんなこともあると思います。
でも、それまで動かしてきた時計が、そこでゼロに戻るわけではありません。
その夢に向かって発信したこと。
学んだこと。
練習したこと。
出会った人。
挑戦したこと。
うまくいかなかった経験。
そして、
「私はこれが好きなんだ」
「これは思っていたものとは違ったな」
「本当はこっちに行きたいのかもしれない」
と自分について知ったこと。
それらは全部、自分の中に残っています。
もしかすると、
「この形ではなかった」
ということを知るために、そこまで歩く必要があったのかもしれません。
そして、その先に、
最初に思い描いていたものとは違うけれど、
「私が本当に見たかった景色は、こっちだったのかもしれない」
と思えるものに出会うことだってあるかもしれません。
だから私は、
「夢が叶わなかった=それまでが無駄だった」
とは思いたくありません。
そこまで時計を動かしてきたからこそ、見えた世界があります。
夢の時計は、ちょっと不思議な時計
普通の時計は、自動で一定に進みます。
夢の時計は、手動で不規則に進みます。
1ミリだけ進む日もある。
10ミリ、15ミリ進む日もある。
動かさない日があってもいい。
そして、ときどき、
思いもしなかったところから何かがやってきて、
針が大きく跳ぶことがある。
いつ跳ぶのかは、わかりません。
必ず跳ぶとも言えません。
だからこそ、
「いつ叶うんだろう」
と時計をずっと睨んでいるよりも、
今日の私は、
「今日は1ミリ、何をしてみたい?」
と自分に聞いてみる。
それくらいでいいのかもしれません。
昨日まで遠くに見えていた夢が、
明日も同じ距離にあるとは限らない。
今日動かした小さな1ミリが、
いつか思いがけない何かとつながって、
突然、夢を射程圏に連れてくることだってある。
そう思うと、
夢に向かって動くことは、
ただゴールまでの距離を縮める作業ではなく、
「この先、何が起こるんだろう」
という小さな冒険のようにも感じます。
今日の1ミリの先に何があるのか。
それは、まだわかりません。
わからないからこそ、
私はまた、
夢の時計を自分の手で、
カチッと1ミリ、
動かしてみたいと思います。