浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾44日目 「選べること」と「自由であること」は、本当に同じなのだろうか



「選べること」と「自由であること」は、本当に同じなのだろうか


 

前回、情報にあふれた今の時代だからこそ、

 

「流れてきた100個の情報から1個を選ぶのではなく、自分から欲しい1個を探しに行く」

 

そんなことが大切なのではないか、ということを書きました。

 

そこからさらに考えていて、ふと気づいたことがあります。

 

それは、

 

「たくさんの中から自由に選べること」と「本当に自由であること」は、もしかしたら同じではないのかもしれない。

 

ということです。

 

 

 

 

 

 

5つから自由に選べる。それは本当に自由?


 

たとえば、

 

「この5つの中から、好きなものを選んでください」

 

と言われたとします。

 

Aを選んでもいい。

BでもCでもDでもEでもいい。

 

「どれを選んでもあなたの自由ですよ」

 

と言われれば、一見とても自由に感じます。

 

確かに、その5つの中では自由です。

 

でも、そこには最初から「5つ」という枠があります。

 

本当は、

 

「どれもいらない」

 

でもいいかもしれない。

 

5つ以外のものを探しに行ってもいい。

 

自分で6個目を作ってもいい。

 

あるいは、そもそも「私は今、何も選びたくない」でもいい。

 

そう考えると、

 

与えられた選択肢から自由に選ぶことと、自分の人生を自由に選ぶことは、少し違うのではないか

 

と思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

「選ばない」が許されなかった経験


 

そう考えていて、以前のある経験を思い出しました。

 

あるメルマガを購読したときだったと思います。

 

登録の途中で、いくつもの項目の中から興味のあるものを選ぶ場面がありました。

 

ところが、

 

「最低5つ選んでください」

 

というような条件があったんです。

 

私はそのとき、

 

「別に5つもいらないんだけどな」

 

と思いました。

 

でも、登録するためには選ばなければならない。

 

だから結局、本当は読みたいとも、購読したいとも思っていないものにまでチェックを入れました。

 

そして、欲しくもなかったメルマガが届くことになりました。

 

そのとき私は、とても不自由だと感じました。

 

100個から好きなものを選べたとしても、

 

「ひとつも選ばない」という選択が許されていないのなら、それは本当に自由なのだろうか。

 

たくさん選択肢があることと、自由であることは、必ずしも同じではないんですよね。

 

 

 

 

 

 

「どれにする?」と「何がしたい?」は違う


 

私たちは日常生活の中でも、たくさんの選択をしています。

 

この中ならどれがいい?

どちらが好き?

何番にする?

このプランの中ならどれにする?

 

もちろん、こうした選択が悪いわけではありません。

 

社会生活を送るうえでは、限られた候補から選ぶ必要があることもたくさんあります。

 

でも私は、自分自身のこれまでを振り返ってみて、あることに気づきました。

 

「どれにしよう?」と考えることと、「私は何がしたい?」と考えることは、似ているようで全然違う。

 

「どれにしよう?」には、すでに候補があります。

 

あとは比較して選べばいい。

 

でも、

 

「あなたは何がしたいですか?」

 

には候補がありません。

 

自分自身の中を見なければならないんです。

 

 

 

 

 

 

自由になったのに、動けなくなった


 

これは私自身が何度も経験してきたことです。

 

私はずっと、

 

「もっと自由になりたい」

 

と思っていました。

 

そして、いざ自由になったとき。

 

最初は、

 

「自由にしていいんだ!」

 

と、とても嬉しかったんです。

 

ところが、その次の瞬間、

 

「……じゃあ、私は何をしよう?」

 

となりました。

 

何でもしていい。

 

どこへ行ってもいい。

 

好きなことをしていい。

 

誰かが候補を出してくれるわけでもない。

 

すると不思議なくらい、何も思いつかなかったんです。

 

「私は何がしたいんだろう?」

 

と戸惑いました。

 

そして考えているうちに、

 

「それなら、この3つから選んでくださいと言われたほうが楽かもしれない」

 

とさえ思いました。

 

そのとき私は、少し怖くなりました。

 

自由になりたかったはずなのに。

 

自由を手にした途端、何をしたらいいのかわからない。

 

私は、自分から「やりたいもの」を見つけることが、こんなにも難しくなっていたんだ。

 

そう気づいたからです。

 

 

 

 

 

 

与えられたものから選ぶほうが、楽なこともある


 

考えてみれば、限られた選択肢から選ぶことは楽でもあります。

 

3つなら、3つを比較すればいい。

 

5つなら、その中から一番いいものを探せばいい。

 

でも、

 

「この世界にあるもの全部から、好きなものを自由に選んでください」

 

と言われたら、一気に難しくなります。

 

さらに、

 

「まだ存在していないものを自分で作ってもいいですよ」

 

まで含めたら、可能性はほとんど無限です。

 

自由には、

 

自分で考えることが必要なんですよね。

 

私は何が好き?

 

何が嫌い?

 

何をしたい?

 

何が欲しい?

 

どんなふうに生きたい?

 

どこへ行きたい?

 

今の私は何を感じている?

 

誰かが候補を与えてくれている間は、こうしたことを深く考えなくても選択できます。

 

だからこそ私は、外から選択肢を与えられ続けることに慣れてしまうと、自分の中を見る機会が少なくなることもあるのではないか、と自分自身の経験から感じています。

 

 

 

 

 

 

SNSは、次の候補をずっと出してくれる


 

そう考えると、SNSも少し似ています。

 

自分が、

 

「次は何を見よう?」

 

と考える前に、次が出てきます。

 

これ面白くないですか?

 

こんな生き方がありますよ。

 

これ欲しくないですか?

 

こんなサービスがありますよ。

 

これが流行っていますよ。

 

こんな考え方がありますよ。

 

次。

 

次。

 

また次。

 

自分の中から、

 

「私は何が見たいんだろう?」

 

という欲求が立ち上がる前に、次の候補が供給されます。

 

すると、

 

「私は何が欲しい?」ではなく、「流れてきたものの中なら、どれがいい?」

 

という選び方が増えていく。

 

私は、それが続いていくと、自分から湧いてくる「やりたい」「知りたい」「欲しい」という感覚を感じる機会も少なくなってしまうのではないかな、と感じています。

 

 

 

 

 

 

「まあまあいい」を「好き」だと思っていないだろうか


 

そして、もうひとつ気になったことがあります。

 

流れてきたものの中から、

 

「まあ、これはいいかな」

「これはちょっと面白そう」

「この中だったらこれかな」

 

というものを選び続けていると、

 

いつの間にか、

 

「これが私の好きなものなんだ」

「これが私の求めていたものなんだ」

 

と思うこともあるのではないでしょうか。

 

もちろん、偶然出会ったものが本当に好きになることもあります。

 

知らなかった世界を外から教えてもらったことで、

 

「私、これが好きだったんだ!」

 

と初めて気づくこともあります。

 

だから、外から与えられる情報や選択肢が悪いわけではありません。

 

ただ、ときどき私は自分に聞いてみたい。

 

「で、本当のところ、私はどうなんだろう?」

 

と。

 

 

 

 

 

 

自分を見るということ


 

これは、ヒーリングやセラピーでも同じだと思っています。

 

誰かが、

 

「これは素晴らしいですよ」

「これはあなたに必要ですよ」

「こういう変化がありますよ」

 

と言ったから、それをそのまま自分の答えにするのではなく、

 

私は何のためにこれを受けたいのだろう。

 

私は何を求めているのだろう。

 

実際に受けてみて、身体はどう感じている?

 

心はどう感じている?

 

私は心地いい?

 

続けたい?

 

それとも、もうやめたい?

 

自分自身をちゃんと見る。

 

誰かが感じる私ではなく、

 

私が感じている私を、自分で確かめる。

 

それがとても大切だと思っています。

 

 

 

 

 

 

100個全部いらなくてもいい


 

100個の選択肢を与えられて、

 

「好きなものを選んでください」

 

と言われたとき、

 

その中から必ず1個を選ばなくてもいい。

 

100個全部いらない。

 

でもいい。

 

そして、

 

「じゃあ、101個目を自分で探しに行こう」

 

でもいい。

 

もっと言えば、

 

「私が欲しいものは、まだここにはない」

 

と気づいたなら、自分で作ったっていい。

 

それもまた、自分の人生を選ぶということだと思います。

 

 

 

 

 

 

欲しいものは、いっぱいあっていい


 

そして私は、自分の欲求をひとつに絞らなくてもいいと思っています。

 

これも欲しい。

 

あれも欲しい。

 

これもやってみたい。

 

あそこにも行ってみたい。

 

こんなことにも挑戦したい。

 

これも作りたい。

 

もっと知りたい。

 

いっぱいあっていい。

 

誰かから提示されたものを比較して、

 

「この中ではこれが一番マシかな」

 

と選んだときとは違う、

 

自分の中から「やってみたい!」と湧いてくる感覚。

 

そこには、ワクワクや意欲や生命力のようなものが伴うことがあります。

 

「あれをやりたい」

 

と思ったら、そちらへ動いてみる。

 

「これが欲しい」

 

と思ったら、取りに行ってみる。

 

最初から正解でなくてもいい。

 

途中で、

 

「思っていたのと違った」

 

となったっていい。

 

また自分に戻って、選び直せばいい。

 

 

 

 

 

 

自由とは、自分の中から選択肢を生み出せること


 

自由とは、

 

たくさん用意された選択肢から、好きなものを選べることだけではないのだと思います。

 

選ばないこともできる。

 

全部断ることもできる。

 

別のものを探しに行くこともできる。

 

そして、

 

まだ目の前に存在していない選択肢を、自分の中から生み出すこともできる。

 

「私は何がしたい?」

 

「私は何が欲しい?」

 

その答えがすぐに出てこなくてもいい。

 

外からやってくる情報を少し静かにして、

 

まだ言葉にもなっていない自分の欲求が、

 

「あのね」

 

と顔を出してくるのを待ってみる。

 

そして見つかったら、1ミリでもそちらへ動いてみる。

 

人生の舵を取るというのは、

 

誰かが用意した人生の中から一番いいものを選ぶことではなく、

 

自分自身を見ながら、自分で行き先を決めていくこと。

 

なのかもしれません。

 

私自身も、ともするとSNSをずっとスクロールして、流れてくる情報を次々と見てしまいます。

 

だからこれは、誰かに「こうしたほうがいい」と伝えたい話というより、

 

私自身も忘れないようにしたいことです。

 

ときどき情報を閉じて、

 

「さて、私は何がしたい?」

 

と自分に聞いてみる。

 

与えられた100個の中から選ぶ前に。

 

もしかしたら私が本当に欲しいものは、

 

まだ101個目にあるのかもしれないから。





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