浄化で爆速!願望達成☆体験100日チャレンジ第3弾58日目 悪魔のことを考えていたら、「恐れ」と「夢」は似ているのかもしれないと思った

最近、また悪魔学の本を読んでいます。
少し難しくて、
わかるような、わからないような。
それでも面白くて、ゆっくり読み進めています。
そんな中で、ふと思いました。
日本人にとって「悪魔」という存在は、もともとはあまり馴染み深いものではなかったのではないか、と。
もちろん今では、映画や漫画、ゲーム、タロットなど、いろいろなところで「悪魔」という言葉や姿に触れます。
けれど日本には、日本なりの「怖いもの」がありました。
鬼、妖怪、もののけ、怨霊、幽霊。
病気や災いをもたらすと考えられた、目には見えない存在。
西洋の悪魔とは少し違います。
これはあくまで私個人の感覚なのですが、西洋の悪魔には、どこか大きくて、力強くて、輪郭のはっきりした怖さを感じます。
それに対して日本の怪異には、少し湿度を感じます。
暗いところに何かいるような。
まとわりつくような。
はっきり姿が見えないのに、何かの気配だけがするような。
同じ「怖い存在」でも、怖さの質が違うように感じるのです。
もちろん、実際の歴史や宗教はそんなに単純には分けられません。
日本の鬼という存在にも、中国の思想や仏教など、海外から入ってきた文化が長い時間をかけて混ざっています。
閻魔様もそうです。
閻魔様の源流をたどると、古代インドのヤマという存在に行き着きます。
古い神話の中では、ヤマは最初に死者の道をたどった者として語られ、やがて死者の王とされました。
それが長い時間をかけて仏教や中国の冥界観などと結びつき、日本にやってきた頃には、私たちにも馴染み深い「閻魔大王」へと姿を変えていきました。
そう考えると、とても不思議です。
人間は昔から、
「これは何なんだろう?」
というものにたくさん出会ってきたのだと思います。
突然、人が病気になる。
昨日まで元気だった人が亡くなる。
作物が実らない。
嵐が来る。
夜の暗闇から、何かの気配を感じる。
今なら、病原菌やウイルス、気象現象、身体の仕組みなど、科学によって説明できることがたくさんあります。
けれど、それがわからなかった時代の人にとっては、
「何かがいるのではないか」
「何かの仕業なのではないか」
と考えることは、それほど不思議なことではなかったのかもしれません。
そしてここから、私は別のことを考え始めました。
人間って、物理的な現実だけを生きているわけではないんだな、と。
たとえば映画を観ているとき。
身体は映画館の椅子に座っているのに、意識は物語の世界へ入っていきます。
本を読んでいるときもそうです。
目の前にあるのは紙と文字なのに、頭の中では知らない町が広がり、人が歩き、声が聞こえ、その人たちの人生に泣いたり笑ったりします。
夢を見ているときには、身体は布団の中にいるのに、知らない場所を歩いていることさえあります。
千円札だって、物理的に見れば印刷された一枚の紙です。
でも私たちは、そこに「千円」という意味や価値を共有しています。
人間は、目の前にある物質だけではなく、そこに意味を感じたり、まだ目の前にないものを心の中に描いたりしながら生きている。
そんなことを考えていたら、さらに面白いことに気づきました。
「恐れ」と「夢」は、意外と近いところから生まれているのかもしれません。
恐れは、
「もし、こんなことになったらどうしよう」
と、まだ起きていない未来を想像します。
夢は、
「こんなふうになったらいいな」
と、まだ存在していない未来を想像します。
どちらも、今ここにはまだありません。
はっきり決まってもいません。
だから怖い。
そして、だからこそワクワクする。
もちろん恐れと夢は同じものではありません。
でも、どちらにも、
「目の前にはまだないものを思い描く」
という人間の力が使われているのかもしれない。
そう思ったら、とても面白くなりました。
人間は、わからないものを怖がります。
「これは何だろう」
「この先どうなるんだろう」
その「わからない」の中から、悪魔や妖怪や怨霊のような存在を想像してきたこともあったのでしょう。
でも同じように、
「この先、どんな人生になるんだろう」
「こんなふうに生きられたらいいな」
という、まだ見ぬ未来も想像します。
見えないから怖い。
でも、見えないから可能性もある。
もしかすると人間は、現実の世界を生きながら、同時にたくさんの「意味の世界」を行き来して生きているのかもしれません。
過去を思い出したり、
未来を想像したり、
物語の世界へ入ったり、
夢を見たり、
まだ存在しないものを思い描いたり。
そして、その想像する力によって怖くなることもあれば、その力によって今日を一ミリ動かすこともできる。
悪魔のことを考えていたはずなのに、また人間の話になってしまいました。
そして最後には、やっぱり自分に戻ってきます。
まだ決まっていない未来を前にしたとき、
「怖いな」
と思う私もいる。
同時に、
「こんなふうになったらいいな」
と思う私もいる。
どちらも、まだ見えないものを見ることのできる私。
そう考えると、恐れが生まれるこの想像力は、夢を見るための力でもあるのかもしれません。
人間って、目の前の現実だけを生きるには、少し想像力が豊かすぎる生き物なのかもしれませんね。